02/16(月) もう青梅マラソン優勝は諦めました。
2015-02-16 Mon 22:45
青梅マラソンが終わった日の夜、毎年の恒例となってしまったこと。
家族での楽しい食事のあと、酔いが覚めてくると、
なぜ、どうして、という疑問が頭のなかでぐるぐると巡る。

悶々として眠れないままに巡らせる思いは、
「どうしておれは青梅マラソンで勝てないのか」、ということ。
堂々巡りの疑問は、朝になっても答えなどみつかるはずもない。


そんな昨日のことを。

朝起きた時、ハム&背中の調子がここ数日でも特に悪いということがわかってガッカリ。
朝食の際に1錠、痛み止めの薬を飲んだが、あまり軽減されず。
青梅に向かう車の中でさらに痛みが気になり、もう1錠。

このままでは出走も無理、という焦りから、薬に頼らざるを得なかったが、
後から考えたら、これは正に負のスパイラルであった。
10キロの応援後のアップでも痛みがあって、さらにもう1錠飲んでレースに挑んだ。

スタート前、息子が撮ってくれた。
後で息子が言っていた「すごく情けない顔」。
確かにその通り。


完走できるかどうか、よほど不安だったのか、
あるいは痛み止めで頭がボーっとしていたのか。

スタートの号砲とともに走り出すと、薬のせいか体が鉛のように重く、まったく動いてくれない。
キロヨンのペースでも、かなり無理している感じだった。
8キロあたりからはいっそう痛みがひどくなって、とても走りきれそうもなかった。

スピードが鈍り、どんどん抜かされていく。
悔しいが、どうにもならなかった。

折り返しの手前、川井で女房と息子が応援してくれていたので、
そこでリタイヤし、一緒に電車で帰ろうと考えた。
折り返す前に二人の前を通った時、女房が「3位」と教えてくれた。

こんな状態だけど、それでも年代3番手にはつけているらしい。
序盤からNECのOさんが先行していて、途中で前回覇者のNさんが抜いて行ったので、おれはその次か。
痛みはあるが、レースとしては自分が思うほど絶望的な状況ではないようだ。

ここでリタイヤしたら、また来年も後のブロックからのスタートになるだろう。
今年、年代入賞しておけば、一番前のブロックに入れる。
今年の優勝の可能性はなくなったが、来年に繋げることはできる。

そんなことを考えた。

これも息子が撮ってくれた写真。
頼んでおいたOS1とパワーシェルを女房から受けとるところ。


折り返してからは、すれ違うたくさんの走友から声をかけてもらい、
それが力になり、痛みをやわらげてくれた。
沿道から応援してくれる仲間もいて、気持ちは100%完走に変わっていた。

途中一緒だったランナーと会話したり、太鼓の応援に元気をもらったり、
痛みは相変わらずだったが、意識は真っ直ぐゴールに向いていた。
ここまで上り坂で特に痛みが出ていたから、二俣尾手前の激坂はどうなることかと思ったが、
意外と走れて、この区間としてはタイムもまずまずだった。

薬が切れたのか、この辺りでようやく体が動き始めてくれたようだった。
一方、ハムの痛みは麻痺してしまったのか、あまり気にならなくなった。
宮ノ平を過ぎてからは、ほとんど下りだったから、余計に動きが良くなった。




(photo by みっちゃん)

ラスト5キロだけ、納得できる走りができた。
タイムも順位もよくなかったが、今の自分ができる最大限は出し切れたと思う。
この最低最悪のコンディションで、1'56'47で年代5位、総合で128位は
リタイヤも考えたレースにしては粘れたのではないか。

ただ、それだけに、余計に「なぜ、どうして」という疑問は尽きない。
昨日は多くの走友が結果を残したから、なおさら考えてしまう。
どうしておれは青梅で勝てないのだろう。
どうして毎年毎年、同じ思いを繰り返すのだろう。

けれど、いくら考えたって結果が変わるわけではない。
過去はどう頑張ったって変えることはできないのだから。

もう青梅マラソン優勝は諦めました。

そう言えたら、ある意味スッキリするのかも知れない。
そういう風に開き直れないところが自分の悪いところなのかも。
けれど、不器用なようだけど、また一年、しつこく青梅の優勝を目標に頑張る。

来年の青梅に向けて、また1日1日を積み重ねていく以外に自分には道はない。

<今日の練習内容>
(昼休みラン)
なし。

(帰宅ラン)
なし。

<今日のデータ>
今日の走行距離         0.0km。
今日まで           208.5km。
平均                13.0km/日

キト:S×0,P×0。


○cs


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11/04(火) 湘南国際マラソン、レースレポート【前編】。
2014-11-04 Tue 23:10
ダメージはあるが、火祭りロード(ハーフ)の翌日よりははるかにマシ。
今日は、走ったら走れないことはなかったが( 実際、朝駅まで走ったし )、
まったく走る気にならなかったのでオフにした。

ハムの痛みも思っていたほどではない。
たぶん、オッサンの法則で明日の方がダメージ大きくなってると思うけど。
そうでなくても、走る気にならないような気がする。

昨日の悔しさはモリモリあるが、走りたくなかったら走らない。
次に走り出す時は、チンタラとやりたくない。
今は、なんとなく、そんな風に思っている。

あくまでも、「なんとなく」なので、もしかしたらチンタラ始めるかも知れない。
それほど強い信念っぽいのじゃなくて、
要するに、サボりたいだけなのかもよ。

でもまあ、嫌々やりたくない気分なのは本当だ。


走らないので、その時間を利用してレースレポート書きます。
興味ない方は例によってスルーで。
けど、みんながみんなスルーだとサミシイかも。


今日は行けるとこまで行ってみるつもり。
はたして、どこまで行けるか?


   第9回湘南国際マラソン レースレポート【前編】   

会場へは大磯駅、二ノ宮駅からシャトルバスが出ているが、
大磯で降りる人より降りずに残る人の方が少ないとみて二ノ宮まで行くことにした。
元々、パンフレットにも二ノ宮駅が推奨されていたし。

しかし、駅前には既にバス待ちの長い列。
ここから会場まで歩く人も多いが、今日は迷うことなくバス。
ハーフならアップがてらという考えもあるが、フルマラソンでは話が違う。

せっかく溜め込んだグリコーゲンをレース前に使うなんてもったいなくてできない。
今日は10キロまでをアップと考えているから、
レース前のアップさえも最小限に抑えるつもりだった。

結局、30分ほど待ってようやく乗車。
運良く座ることができ、10分くらいで会場についた。
会場はランナーで溢れていて、最初にあったトイレにも長い列。

さっきバス待ちの列から解放されたばかりだが、
これを済ませないで走るわけにはいかない。
いったん、会場内のトイレを見に行くが、
そちらの方が時間かかりそうなので、最初にあったトイレに並んだ。

既にスタート時刻まで1時間となっていて、まだ着替えも済ませてなかったが、
アップも最小限でいいから特に焦る気持ちはなかった。
トイレ待ちの時間を利用してストレッチ。

トイレを済ませたら着替え。
今日は女房と一緒じゃないから、落ち着いて忘れ物がないように準備した。
ハムの痛みが気になったので、2錠持ってきたロキソニンを1錠飲み、
もう1錠は念のためゼッケンの裏に貼り付けた。

準備を整えてスタート地点に向かおうと、係の方に、
「Aブロックはどっちですか?」と聞いたら、
「あちらの方ですね」と言ってすぐそばのテントを指差した。

そうか、そうか。
おれったら、まだ荷物を預けてなかった。
危うく荷物を持ったままスタートに向かうとこだったよ。

どんだけオッチョコPなんだ。

荷物を預ける前に、ちょっと寒く感じたので、
アームウォーマーをすることにした。
走り出して暑ければ外せばいい。

スタート地点まで、結構な距離があったのでアップにはちょうど良かった。
途中、後ろから「ひろさん!」と呼ぶ声がしたので振り返ったらO塚さんだった。
2万人近い参加者の中で走ろう会の仲間に会う奇跡。
健闘を誓い合い、固く握手してO塚さんと別れた。

スタートラインにたどり着いたのは15分くらい前。
徳光さんのクダラナイ冗談と、千葉ちゃんのかん高い声を聞きながらスタートを待った。
防寒のために被ってきたポリ袋を脱いだら、うっすら汗をかいていた。

定刻の9時、号砲が鳴り響き、
長く苦しいフルマラソンがスタートした。
スタートロスは7秒、100メートルくらいのところから自分のペースで走れるようになった。

逸る気持ちを必死に抑えて走る。
10キロまではアップジョグのつもりで足を温存するのだ。
それでも、入りの1キロは3'47と予想通り速かった。

走り出してみると、やはりハムが痛む。
これは余計に無理はできないと、さらに意識してスピードを抑えた。
少し風はあったが、暑くも寒くもない絶好のコンディションだった。

7キロ付近で「ひろさん」と若いランナーに声を掛けれた。
はて、誰だったかな?と思っていたら、
「いつもブログ読んでます!」と言われた。

しばし談笑したあと、「すいません、話しかけちゃって」と彼が言って別れた。
なんとなく見覚えあるユニだと思って、もう一度見直してみたら、
たぶん、毎年、横田駅伝で上位争いをしてるチームではなかったかな?

違ったらすいません。
おれもオッサンの部だけど連覇中なので、
またお会いしたらよろしくです。


アップ予定の10キロは39分で通過、ほぼ想定通り。
しかし、思った以上にハムが痛く、設定の3'45ペースに入れるとイッちゃいそうで恐い。
これでは何のためのバカの一つ覚えだったのか。


今日は茅ヶ崎付近で女房と息子のサポートがある。
往路は11キロ付近、復路は27キロ付近。
それぞれ、補給食をお願いしていた。

復路は、ポカリスウェットの250mlボトルと、パワージェルのバナナ味。
「がんばれー!」と女房から無事に受け取ることができた。
まずはパワージェルを補給、これはなかなか好みの味。

今回、フルマラソンを走るにあたって意識したこと、そのひとつはエネルギー補給。
後半でエネルギーが切れたら、気力を失って大失速になりかねない。
同じくらい心配なのが脱水で、これも失速の原因になるばかりか、
レース後も死ぬほど苦しい思いをすることになる。

ポカリスウェットは、時間をかけても全部飲みきると決めていた。
これを選んだのは、身体への吸収がいいことと、
この250mlボトルはとても持ちやすく、しばらく持って走っても負担が小さいからだ。

エネルギーも水分も補給できたが、スピードを上げようとすると、
やっぱりハムが痛み、無理をしたら決定的にやっちゃいそう。
12キロ付近でかなりの痛みがあったので、あと30キロはとても走りきれる気がしなかった。

10キロから3'45ペースに上げる予定だったが、
そのペースでは完走は不可能と判断して諦めた。
江ノ島が見えて、折り返しが近づいてきた。

折り返しのコーンを回る時には細心の注意をはらった。
先はまだまだ長く、完走できるか不安があったが、
たくさんの応援が励みになった。

21キロで時計を見ると、1'21'24。
単純に倍にして、2'42'30の自己記録を更新するのは難しいと言わざるを得ない。
ハムがこんな調子では、2時間50分を切るのも無理かも知れないと思った。


鵠沼付近の沿道に見慣れた顔があった。
同年代だけどおれと比べたら圧倒的にイカしたオッサン、
良さんが応援してくれた。

良さんに力をもらい、今度は女房と息子が待つ27キロを目指した。
こうなったら1キロ1キロ、地道に積み重ねるしかない。
23キロ過ぎに吸水所が見えたので、ゼッケンの裏に貼り付けたロキソニンを取って口に入れた。

27キロの補給に頼んでおいたのは、同じくポカリスウェット250mlボトルと、
パワープロダクション ワンセコンドCCDクリアレモン味。
これはハーフでも何度か使った実績があり、飲み慣れている。

「いいペース、いいペース!」

確かに痛みがあって思うようなペースではないが、
それでも、絶望的になるようなペースではないし、
何よりも、スタートしてからペースダウンなし、ほぼイーブンで走れている。

ここで、もう悲観的なことを考えるのはやめて、
とにかく、次は33キロ地点を目指すことにした。
33キロまでこのペースで行けたら、その先は思い切って走るのだ。


スタート前のLINEで、仲間がランナーズアップデートで、
おれの5キロ毎のラップタイムをチェックしてくれているのを知っていたので、
常に応援してもらっているような気持ちで走ることができていた。

    【    つづく   】    

すいません、眠くてダメです。
今日のは「前編」としました。
つづきは、また明日か明後日。


もしかしたら、明々後日。

おやすみなさい。

<今日の練習内容>
(昼休みラン)
なし。

(帰宅ラン)
なし。

<今日のデータ>

今日の走行距離         0.0km。
今日まで           52.5km。
平均             13.1km/日

キト:S×4,P×0。





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第26回スタンダード・チャータードバンコクマラソン2013 レースレポート【その5】
2013-12-02 Mon 03:05
長らくお付き合い頂きましたが今夜が最終回です。
みなさん、もう少しの我慢です。
なんと言ってもマラソンは忍耐力なんです。

つづき、行きます。

   第26回バンコクマラソン2013 レースレポート【その5】   

インド人風の偉いひと(たぶん)のプロモートによる記念撮影が終わった後は、
何はさておき、S藤さんと一緒にトイレに向かった。
できることなら歩かずにじっとしていたかったが、そうもいかない。

S藤さんはフルを走り終わったばかりだというのに元気で、
軽くジョギングして行っちゃうぐらいの勢いだったけど、
おれにはとてもその元気が残ってなかった。

腹が痛い上に吐き気がして気持ち悪く、年代優勝を噛み締める余裕はなかった。
向かったトイレがやたら遠くてイライラしたが、
いざトイレに着くとどこにも紙がなくてできなかった。
仕方なく戻ると女房がいたので、ティッシュをもらって一番近いトイレを目指した。

トイレが終わると、もう何もする気が起きなかった。
燃えカスのようになって、頭は完全にボケボケしていて、
無意識のうちに動きが停止してしまう。

その度に、女房から
「いいから早く着替えちゃいなさい!」
と何度も怒られながら渋々着替えた。

着替え終わって、最後のコーナー付近の路肩に女房とふたりでしゃがんでゴールを目指すランナーを眺めていた。
「あれ、Tマミちゃんじゃない?」というので見たら、確かにそれっぽかったけど、時計を見たら5時23分。
つまり、ハーフがスタートしてからまだ1時間23分しか経ってない。
「違うな、いくらなんでも早すぎる」と言ったが、実際にはそれはハーフを走りきったTマミちゃんだった。

この過酷なレースでキロ4分をきるペース、自己ベストの1時間24分で女子50歳代で見事優勝。
後で聞いたら、会場でのアップ時間がないのは事前にわかっていたので、
ホテルを出る前に十分にアップを行ってレースにのぞんだのだとか。さすが、Tマミちゃん。

ミサオちゃんは年代優勝ばかりか女子総合でも4位入賞の大活躍。
そのミサオちゃんにしても、ホテルでアップを済ませていたらしく、
意識の高さは流石だと感心させられた。

チーム山中湖、おれ以外の3人も山中湖ロードレースを制した実力者。
当たり前の話だけど、レースで勝つことへの執着は人一倍ある。
難しい状況の中でもできるだけの準備はやりきる。

今回、こういうチャンスをもらって、
素晴らしい走友に出会うことができたことは、
自分にとって、この先大きな財産になると思う。

タイ国政府観光庁日本事務所が提供するタイ観光案内サイト
チーム山中湖の活躍が紹介されてます。


それからしばらく女房とふたりでボケーっとランナーを見ながら過ごした。
いや、もしかしたらボケーっとしてたのはおれだけだったかも。
ゴールしてくるランナーには、本当にいろんなタイプのひとがいて飽きない。


一方、ゴールし終えて戻ってくるランナーの多くがハンバーガーやリンゴを頬張っている。
ゼッケンに付いている引換券でマックのハンバーガー2個とフルーツを交換してくれることになっていたのだが、
おれはっていうと、腹は痛いし気持ち悪くてとても食べる気になれずに貰わなかった。

何気なくそのことを女房に話すと、「わたし食べる、行こう!」と言う。
心の中はそのまま座っていたい気持ち120%だったが、応援してもらった手前、嫌だとは言えない。
余計なこと言わなきゃ良かったと思ったが、言っちゃったものは仕方ない。



痛い足を引きずりながらエッチラ、オッチラと引換所に向かった。
ハンバーガーとリンゴを受け取ると、そこに今回の旅で大変お世話になったガイドさんがいた。
ちょうど良かったので、年代優勝した際の手続きはどうすれば良いのかスタッフに聞いてもらった。

すると、なんとなんと、外国人入賞者の手続きには
パスポートの提示が必要なんだということがわかった。
しかも、正式な成績発表のあった15分後までに手続きしないと入賞が無効にされてしまうという。

パスポートはホテルの金庫の中。
表彰式の予定時刻は7時で、時計を見るとすでに6時を過ぎていた。
や、や、やばいんじゃない?

「早く! 急いでホテルにパスポートを取りに行きましょう!」

ガイドさんに言われて慌ててS藤さん、ミサオちゃん、Tマミちゃんを探す。
幸いなことに集合場所を決めていたので、その付近で全員を発見することができた。
事情を話し、慌ただしくホテルに戻る準備をする。

ただし、ミサオちゃんは年代優勝の他に総合でも4位に入っていたので、
年代表彰より先に総合の表彰が行われるため、同部屋のTマミちゃんが
ミサオちゃんのも一緒に取って来ることになった。

すぐにガイドさんが手配をしてくれたお陰で、あまり待たずに送迎の車に乗り込むことができた。
早朝とはいえ、バンコクの街はそこそこ渋滞していたのでホテルまでが長く感じた。
パスポートを取ったらすぐに大会会場に向かったが、渋滞はいっそう激しくなっていた。

会場近くまで来たところで、ついに交通制限がしかれてそれ以上は近づけなくなった。
「ここから歩いて行きましょう!」というガイドさんの言葉で皆で降車して急ぎ足で会場に。
7時ちょうどに会場に戻った時にはミサオちゃんの総合表彰は終わっていたが年代表彰はまだだった。

全員で胸をなでおろす。
今になって思えば、あの時女房が「ハンバーガー食べる」と言わなかったら
もしかしたら、チーム山中湖全員の入賞がオジャンだったかもしれない。

せっかく死ぬ気で取った年代優勝、これがパーになったら日本に帰ってなんて報告したら良いだろう。
ホテルとの往復の間、そんなことを考えていたので本当に良かった。

正式掲示で自分の優勝を再確認。


まずはパスポートを見せて入賞の手続きを行った。

落ち着いたら腹が減ってきたので、女房が1個しか食べなかったマックのハンバーガーの残りの1個を食べた。
普通のハンバーガーだと思っていたら、チキンのフリッターみたいなのにマヨネーズソースがかかったものだった。
飛び切り美味いとは思わなかったけど、タイ風のスパイシーな味ではなく日本人好みの味だと思った。


年代の表彰が順次行われて、やがて自分の名前が呼ばれた。

The Winner Is
ISOMA HIROYUKI From JAPAN!



国王の肖像画に深々とお辞儀、
プレゼンターの偉い人からカップを受け取る際には、両手を合わせて
「コップンカップ! サンキューベリーマッチ!!」


いろいろと思うことの残るレースではあるけど、
走友に約束した日の丸を掲げることができてホッとひと安心。
ようやくプレッシャーから解放された。


我らチーム山中湖の成績は、
男子がフルマラソンで年代1位と2位、女子がフルマラソン年代1位、ハーフ年代1位。
どうです、優秀でしょう!!


全員が実力を出しきって最高の結果を残すことができた。
これも無事に手にすることができた。


ホテルに帰って、シャワーを浴びて、まだ10時前。
モーニングを食べながらレースを振り返るという、あり得ないシチュエーション。
考えれば考えるほど、バンコクマラソンは夢の中の出来事のようだ。


もちろん、その日の晩の完走パーティはスーパードライで乾杯。


しかし、タイ料理ではなく、なぜか中華料理。
でも、北京ダックは最高に美味しかった。


大盛上がりのバンコクの夜でした。
コップンカップ!


次の日、アユタヤ観光には貰った小切手持参。
観光から帰ってきたその足で銀行に行き、
現金に換えてもらわなければならないからだ。

泣いても笑っても、今夜の便で帰国の途につかねばならないのだから。
もう我々チーム山中湖に残された時間は残りわずか。
悠長に構えている時間はないのだ。

ガイドさんからは、小切手はくれぐれも無くさないようにと言われていた。
これは誰が銀行に持って行っても換金してくれるので
落としたりしたらまず出てこない。

アユタヤ観光を楽しんで、3時近くにホテルに帰り、
すぐにホテルから徒歩15分くらいの銀行に向かった。
しかし、ガイドさんが銀行のひとと話したら、渋い顔で「ノー」。

「やっぱり、パスポートがいるそうです」
銀行の閉店時間は3時半、パスポートは相変わらずホテルの金庫の中。
や、や、や、や、やばいんじゃない?


マラソン入賞者3人は、筋肉痛をおして、
ホテルまで走ってパスポートを取りに行った。
Tマミちゃんはゴール直前で大転倒してケガしてたので、
今度はミサオちゃんがTマミちゃんのパスポートも持ってくることに。
このふたり、まったく良いコンビだこと。

一番走りたくないフルマラソン翌日に走らされて、
何とか閉店間際に全員が換金完了。
帰りの飛行機に乗る直前に空港で円に換えて、all complete。

まさに薄氷を踏む思いの賞金ゲットだった。
今回の教訓として、パスポートは常に必要と考えること。
しかし、それがわかっていてもパスポート持参で大会に行くのは不安がある。

大会の荷物預かりにパスポート入りの荷物を預けるのは、どう考えても無理。
応援の人がいれば良いが、それが家族でなかったら、
預ける方も預かる方も何となく嫌なものだろう。

こういう場合はツアー会社のひとに頼むのが良いのかな、と思う。


何はさておき、今回のバンコク遠征は大成功。
またとないチャンスをもらって、プレッシャーはあったものの
結果を残せたことは一生の思い出に残るだろう。

そして何よりも、掛け換えのない仲間、チーム山中湖の皆と知り合えたこと、
皆で励まし合って、皆が実力を出しきって表彰台に立てたことは
この先、走り続けることに於いて大きな財産になることは間違いない。


もしも叶うなら、来年も同じメンバーで海外マラソンに出れたら
こんなに嬉しいことはない。
それには来年、またこの4人が山中湖のチャンピオンになることが絶対条件。

それは、言うほど容易いことではない。
また新たな実力者が練習を積んでエントリーしてくるはずだ。
並大抵の努力では連覇は難しいだろう。

でも、それを乗り越えてでも、
チーム山中湖の再結成を成し遂げようよ。
また4人で集まって、励まし合って、
また異国の地に日の丸を掲げよう!


大丈夫、
おれたちならできる!
またスーパードライで乾杯しようぜ!

    【    おしまい   】    

すいません、やっと書き終えました。
最後まで読んで下さった皆さん、ありがとうございました。
きっと、読んで不快に思われた方もいるでしょう。
申し訳ありませんでした。

おやすみなさい。
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第26回スタンダード・チャータードバンコクマラソン2013 レースレポート【その4】
2013-11-29 Fri 23:55
モタモタしているうちに明日はもう次のレースです。

つづき、行きます。

   第26回バンコクマラソン2013 レースレポート【その4】   

高速道路を降りてコースは一般道に入り、レースは終盤戦へと突入した。
36キロ地点から3キロくらいは走っただろうと思った所でようやく次の表示が現れた。
しかし、そこにあった表示を見て、おれはガックリと力が抜けてしまった。

その表示には37.5キロとあったからだ。
でも、そう思ったのはもしかしたらおれの勘違なのかも。
後で時計をしたら、どうも36キロらしきラップは残ってない。
残っている34キロと思われるラップからだとすれば相応のタイムだ。

意識がもうろうとする中、34キロまでしか来てないのを
いつの間にか36キロまで来たと思ってしまい、
そろそろ39キロくらいだろうと思い込んでしまったのだろうか。


残りは3キロほどだと思っていたのが、まだ5キロあるという。
相変わらず治まらない腹の痛みを抱えて、果たしてゴールまで辿り着けるのか。
泣きたい気持ちで振り向いたが、後続の選手の姿は見えなかった。

しかし、S藤さんがすぐそこまで迫っているのは明らかだ。
弱気になってスピードを落としたりしたら、すぐに追いつかれてしまうだろう。
おれにはもう、迷っている時間も泣き言を言っている時間も無い。


死ぬ気でゴールを目指す。


それしかない。
それ以外におれの行く道は存在しない。
おれにはもう、他に選択肢はないのだ。

残りが5キロだろうが10キロだろうが、
ゴールを目指してありったけの力を振り絞る。
ここまで来たら、もう足を温存する必要もない。

とにかく全力で走る。
辛かろうが何だろうが、
死ぬ気でゴールを目指すしかないのだ。



まだ真っ暗な闇の中、プラ・スメン通りをひた走る。
でも、沿道には次第に応援の人の姿が現れはじめて、
ゴールが近づいてきていることを思わせた。

すぐ横を二人乗りのバイクがかっ飛ばしていく。
もちろん、オフィシャルというわけではなく、要するに交通規制が甘いのだ。
日本では考えられないけど、特にとがめられたりもしない。

普段なら憤慨するとこだけど、腹が痛過ぎて腹も立たない。
とにかく自分のことだけで精一杯で、
他人の行動なんてどうでもいい感じだった。

100メートルくらい前にひとり選手が走っているのが見える。
かなりへばっているらしく、走りに力強さが感じられない。
そんな彼に追いつけないのだから、おれも間違いなく精彩がないのだろう。

スタート直後に渡ったチャオプラヤー川に架かるプラ・ピンクラオ橋をくぐる。
右に折れたり、左に折れたりしながら国立劇場、タマサート大学の横を過ぎていく。
高く長く続く壁が左手に現れると、その壁の向こうには
目指すゴール、サナム・ルアン(王宮前広場)があるのだとわかった。

ここをぐるっと回ったら、そこがゴールだ。
もう2キロを切っている。
また腹が強烈に痛んだが、あと10分足らずの我慢だと自分に言い聞かせた。

目の前に王宮の建物が見えてきてた。
もうすぐ、もうすぐゴールだ!
がんばれ、おれ!

腹を押さえながら、痛みに耐えながらも足に力を込め続けた。
所々でカメラマンがコースに出てきて、暗闇の中カメラを構えていた。
辛かったが、腹を押さえるのをやめてサングラスを外して頭に掛けた。

写真に残るのなら、情けない顔で写りたくない。
そう思うと、人間というのは(オッサンというのは?)現金なもので、
これだけ痛いのにもかかわらず、カメラを向けられた時だけは
何ともないみたいなふりができるのだった。


そして、ついに残り500mの表示が見えた。
残り5キロの表示からしたら明らかに短いと思った。
最後まで距離表示はあてにならなかったが、短い分には文句は無い。

最後のコーナーを回ると、大きな歓声に包まれた。
実況中継のようなアナウンスが聞こえる。
前を行くランナーはいない。後ろを振り返っても誰も走ってない。
歓声は、アナウンスは、おれだけに向けられたものだった。

「ひろさん、ラスト!がんばれ!」

そこには女房が立っていた。
この場所を目指して、おれは必死で走ってきた。
ここに帰るために、なりふり構わず走ったんだ。

女房の声に応えたかどうかはまったく覚えてないが、
さらにスピードを上げたのだけは良く覚えている。

「帰ってきたぞ」

そう、心の中でつぶやきながら。


ISOMA HIROYUKI ,From JAPAN!


自分の名前がアナウンスされた。
今まで走ってきた闇が嘘みたいに
おれの身体は明るい光に包まれていた。

両手を掲げ、
何度も強く拳を握りしめ、

おれは、ゴールした。



ゴール後にインド人みたいな風貌をした偉いひと(たぶん)が近づいてきて、
「おめでとう! 記念撮影するから、こっち来い、こっち来い」と、
おれをひときわ明るい場所に連れて行った。

そこでは別なエイジクラスの優勝者と思しき選手が、
記念撮影とインタビューを受けているところだった。

「スゴイじゃん、優勝だよ。疲れただろ? 悪いな、1分だけ待っておくれ」
とインド人風の偉いひと(たぶん)が言った。
「いいけど、おれあまり英語しゃべれないよ」と言ったら
「だいじょぶ、だいじょぶ!1分だけ待て」と笑った。


S□□TO MASAHIDE ,From JAPAN!


S藤さんの名前がアナウンスされたのが聞こえた。
見ると、S藤さんがガッツポーズでゴールしているところだった。
おれがゴールしてから約1分後、おれのすぐ後の順位だった。

「お、また日本人が来たじゃん。スゲー!」
インド人風の偉いひと(たぶん)が感心した風に言った。
「あれ、おれの友達! おーい、S藤さーん!」とおれが叫ぶと、
「S藤さーん!」とインド人風の偉いひと(たぶん)も叫んだ。

S藤さんが来ると、インド人風の偉いひと(たぶん)は、
「一緒に記念撮影するからな、1分だけ待っておくれ」と笑って言った。
結局、前の撮影がなかなか終わらず、インド人風の偉いひと(たぶん)は、
「疲れただろ。悪いな、1分だけ待っておくれ」と繰り返し言った。

その時は、「1分、1分って、いくら待っても1分じゃん!」
とツッコミを入れようと思ったが、
あとでよくよく考えたら、「1分だけ待って」という意味ではなく、
Just a minute =「ちょっと待って」だということがわかった。

言わなくて良かった。


    【    つづく   】    

ようやくゴールはしましたがこれで終わりじゃないです。
まだつづきがあるんです。申し訳ありません。
すったもんだのドタバタ劇みたいなものですが、
これから海外マラソンを走る方の参考になるかも知れません。



参考にならないかも知れません。

おやすみなさい。
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第26回スタンダード・チャータードバンコクマラソン2013 レースレポート【その3】
2013-11-28 Thu 23:59
一昨日、昨日とレースレポートをアップできませんでした。すみません。
一昨日にはアップする準備ができいたのですが、12時になっても、1時になっても、
踏ん切りがつかずに、結局諦めて、そのまま寝てしまいました。


今回ばかりはレース中にあったことをそのまま報告するのに躊躇いがある。

バンコクから帰った日のブログにそう書きました。
応援してくれた方にきちんと報告しなければならないと思う一方、
がっかりさせてしまうかもしれない、
でも都合のいいことだけを書く気にもなれない…。


今もその迷いは少しも変わりません。

今日は走ろう会の仲間が祝勝会を開いてくれました。


平日の夜ですから、来れない仲間もいました。


たくさんの
おめでとう!
勇気が沸いてきました。

あらためて、
優勝してよかった
と思いました。

と同時に、
レースレポートの続きをアップしよう。
と思いました。


つづきです。

   第26回バンコクマラソン2013 レースレポート【その3】   

折り返しまでに数えたら、おれは先頭から10番目あたりの位置。
折り返して少し行ったところでS藤さんとすれ違った。
手をあげて励ましあう。
優勝を争う相手ではあるが、掛け替えの無い仲間であることにも変わりはない。

おれとの差はおそらく500mくらいだったろうか。
当初より広がったが、おれが失速したらあっという間に追いつかれる距離。
そう思うとペースアップしたい気持ちが沸いてきた。
足にはまだまだ余裕があり、身体の動きもよくなってきたように感じる。

しかし、マラソン先生のアドバイスを思い出して抑えた。
20キロあたりまで来ると体感が鈍り、楽に走れていると感じてしまうことがあるが、
そこで不用意にペースアップすれば後半に必ず痛い目にあうと言われていたのだ。

さらに少し行くと今度はミサオちゃんの姿が見えた。
それほど差が無いことに驚いた。ミサオちゃん頑張ってんなあ。
ミサオちゃんとも大きく声を掛け合ってすれ違った。


22キロ、24キロ、26キロ。
ずっとずっと二人だけで走る。前には誰もいない。
振り返っても、誰の姿もなかった。

ロードバイクで併走してくれている大会スタッフが3名。
時折、何か世間話みたいに話して笑いあっている。
鼻歌を歌っているのもいる。みんな若い青年だった。

おれも、走るピッチに合わせて小さく歌を口ずさんだ。

交差点で100円拾ったよ
今すぐコレ 交番届けよう
いつだって オレは正直さ
近所でも 評判さ

リンリン ランラン ソーセージ
ハーイハイ ハムじゃない
なんてことは
ぜーんぜん 彼女も言ってない
ヘーイヘイ 日本中 知っているさ


直前の帰宅ランでラジオを聴きながら走っている時、この歌が流れた。
走りのピッチと歌のリズムが良く合ったこともあってか、
その日から、ずっと頭の中を離れないでいた。

「なんてことは」のところは、特に秀樹っぽく歌う。
次第に増しつつある太股の痛みもまぎれるように感じた。
30キロまで行けば、なんとか走りきる目処がつくと思った。

しかし、次第に2キロの距離が長く感じてきてもいた。
すれ違うたくさんのランナーに元気をもらって気持ちを切らさないようにした。
大きな声で応援してくれるランナー、拍手を送ってくれるランナー。
その力を間近に受けたくて、すれ違うランナーに近い道路の右を走った。



28キロからの2キロはさらに長く感じたが、ようやく辿り着いた30キロ。
練習ではこの距離までしか走ってないし、それもわずか3回だ。
そのうちの1回はキロ6分ペースのジョグだった。

不安が頭を過ぎるが、次は33キロだと思った。
とにかく、次は33キロまで我慢して走る。
33キロから5キロは、思い切って大胆に走る。

それはマラソン先生がフルマラソンの際に実行している記録を狙うためのペース配分。
ラスト5キロではなく、33キロから5キロをここぞと思い切って走る。
そういう意識で5キロ走ることが出来たら、残りはわずか4キロちょっと。

いくら苦しくなっても、足がキツくなっても、
あと4キロと思えばペースを維持することができる。
そのことを思い出して、33キロまでは我慢だと何度も自分に言い聞かせた。

32キロを過ぎて残る距離は10キロ。
太股に痛みはあるものの、足はまだまだ残っている感じだった。
これも、中盤で不用意にペースを上げずに抑えたおかげだろう。

この辺りで、腹がギュルギュル鳴り出した。
でも、もちろん腹が減っているわけじゃない。
この時、腸が火山のマグマように、不気味に動き出していたのだった。

恐れていたことが起き始めている。
そのことはわかったが、しかし、
とにかくあと1キロ、あと1キロの我慢。
1キロ行ったら、思い切って走るんだ。

そう思って、腹のことはなるべく考えないようにした。
32キロ地点から1キロくらいまで来たあたりで、ここだ、と思った。
少しずつペースを上げる。

一緒に走ってきた彼も着いてくる。
34キロまで来た。残りはわずか8キロだ。
スピードを上げても足はまだまだ耐えられる状態だった。

かなり前を走っていた選手がみるみる近づく。
あっという間に追い付き、後方へとさがっていく。
スピードの差は歴然だった。

大丈夫、大丈夫、ぜんぜん行けるぞ!
このまま一緒にゴールできたら、コイツと抱き合って歓びを分かち合おう!
おお、我が友よ! ベストフレンドよ!

しかし、そんなことを思い描いていた一方で、
悲劇がジワリジワリと近づいて来るのもよくわかっていた。
ギュルギュル鳴っていた腹が次第に痛み出したのだ。

実は、バンコク出発前の1週間くらい便秘気味だった。
二日連続で出ない日もあって、出てもスッキリとは程遠い。
バンコク入りしてすぐに便秘薬を飲んだが状況は変わらず。

そのツケが一気にやってきたのだということは理解できた。
便秘気味だったのは、もしかしたら距離を落としたことで腸の働きが鈍ったせいだったのかも。
久しぶりに高負荷で距離を走ったので、それで腸が活発化して便秘が解消したか。

しかし、折り返してからトイレがまったく無いことはわかっていた。
いくら痛くてもなんでも、このままゴールを目指すしかない。
そう思っても、走るほどに腹は痛み、そのうち痛みで走るスピードがガクッと落ちた。

「どうした? ちゃんと着いて来い!」
ここまで一緒に走ってきた友が呼んでいる。
「ダメだ、腹が痛い。先に行け!」

友の後ろ姿が次第に遠のいていく。
それを見送るおれは、泣きたい気持ちだった。
腹が痛くて、情けなくて。

意識がもうろうとしてくる。
フラフラになって走る。
ただ左右の足を交互に動かしているだけ。

そうやって走るうち、コースは来た道を離れて左に折れた。
すれ違うランナーもいなくなると、いっそう腹の痛みが増すように感じた。
もはや限界はとうに過ぎていた。

「なあ、トイレ、トイレないか?」
無駄とわかっていたが、もしやと思ってロードバイクで併走する青年に聞いた。
青年を困らせるだけとは思ったが、このまま走り続けるのは到底無理だった。

「トイレ、どこかにトイレはないか?頼む!なんとかしてくれ!」
しかし、高速道路の上ではそれが無理な相談であることも明らか。
どんなに頼んだって、トイレが急に目の前に現れるはずはなかった。


すると、
青年がおもむろに
ガードレールの向こうを指差した。

ガードレールの向こう。
そこには、橋脚の陰になった
暗がりのスペースが見えた。


「そこでしろ」


そこでしろ、
と確かに彼はそう言った。


そこでしろ

そこでしろ

そこでしろ…。


その意味はわかったが、
けれど、
すぐには頭に入って来なかった。

たじろぎながら立ち止まった。
一瞬戸惑い、
そして考えた。

しかし、考える余地などないことは自明の理。
おれに与えられた選択肢は、
どう考えたってふたつしかない。


そこでするか、
リタイヤするか。



リタイヤ…

逃れることのできない現実を突きつけられ、
情けないことに、涙が溢れそうになった。
やっとここまで来たのに、そう思うと、
悔しくて悔しくて堪らなかった。

ずっと目標にしてきた『バンコクへの道』が、
まさかここに行き着くとは夢にも思わなかった。
夜の高速道路の上で、呆然と立ちすくむ。

耳元が、ヒュルル、と鳴って、
生暖かい風が頬をすり抜けていった。
それきり、何の音もしなくなった。


おれは、
溢れかかった涙を飲み込んで、
心を決めた。

そこでする、と。


それが許されざる行為であることはわかっていた。
ランナーだからって何も特別なことは無い。
それはマナーなんかじゃなくルール。

誰であろうと、トイレ以外で用を足すことは許されないのだ。
でもおれは、「そこでする」と決めた。
ただ、勝つために。


勝つために許されざる行為に及んだ。
でもそれは、もちろん賞金のためじゃない。
言い訳がましいかも知れないが、それは本当だ。

何がなんでも年代優勝する。
そう誓って日本を立ってきた。
何人もの走友に見送られてここを走り来た。

そして





そして、
何よりゴールでは
女房が待っている。

今年、銀婚式を向かえるまでろくに旅行にも連れて行けなかった。
そんな女房を海外旅行に連れていくために、
必死で練習して山中湖ロードレースで壮年優勝を掴んだ。

そうして派遣されたこのバンコクでも、必ず優勝して喜ばせたい。
優勝して、この銀婚旅行を一生心に残るものにしたい。
そういう思いで、これまでずっと練習を積んできた。


女房が待っている。
25年間、何百回となく喧嘩して、
同じ数だけ仲直りしてきた。
怒ったり泣いたり笑ったり悩んだり、
どんな時も寄り添ってきた女房が、
日本から遠く離れた異国の地、夜明けを待つ王宮前広場で、
おれの優勝を、ただただ信じて待っているのだ。

こんなとこで
リタイヤなんかしてたまるか!


おれは、
ガードレールを飛び越えた。
そのガードレールは、まさに「一線」だったのだと思う。

おれは、
越えてはならない一線を
飛び越えたのだ。


今も、あれで良かったと言い切ることはできない。
ずっとずっと目標にしてきた、憧れの地バンコク。
こんなおれにはもう、「バンコクが好き」
なんて言う資格は無いのかもしれない。

今もその思いはあるが、
とにかくおれは「そこでする」ことを選び、実行した。
それが偽らざる、決して消すことのできない事実。


夜中だったことが幸いといえば幸いだっただろう。
沿道で応援しているひとは誰もいない。誰も見ていない。
おれの許されざる行為を見ていたのはロードバイクの青年がふたり。

あとは、ほどなく終わりを向かえるであろうバンコクの夜の闇が
黙って静かに見つめているだけだった。




    【    つづく   】    

今夜はここまで。
お疲れ様でした。

おやすみなさい。
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第26回スタンダード・チャータードバンコクマラソン2013 レースレポート【その2】
2013-11-25 Mon 23:44
バンコクマラソンのレースレポート、
今夜はその第2回目。

…とその前に、
ここで走ろう会の皆さんにご注意です。
この先、今回のレースレポートと同じ内容が会報に載る可能性あります。
その際、「これもう読んだぞ。編集委員の手抜きじゃないか」
なんて文句を言うひとは、このレポートは読まないようにお願いいたします。

では、つづき行きます。

   第26回バンコクマラソン2013 レースレポート【その2】   

ほとんどアップはやらなかったこともあるので、
スタートしてからしばらく逸る気持ちを抑えて突っ込み過ぎに気をつけた。
練習中に思いついた、「10キロまでアップジョグ、その後32キロレース」作戦の実行だ。

とはいえ、抑えてはいてもキロ4分は切っているはずだと思っていた。
ところが2キロ地点で時計を押してみると、なんと10'09。
一瞬、スピードを上げようかと思ったが、いや待て。

いくらなんでもそんなはずはない。
距離表示はあてにならないとみて、時計はあまり気にしないことを決めた。
ただ、コースが高速道路に入ってしばらく行くと時計自体が読めなくなった。

度付きサングラスモドキをしていたが、遠近両用ではないので、
暗い場所ではまるで読めず、キロ表示の場所で読めることは期待薄。
もし読めたとしても、これだけ距離がアヤシイと意味があったかどうか。

案の定、レース後に確認すると4キロ地点までの2キロは逆に5'35だった。
高速道路の街路灯は暗くて、もうほとんどの場所で時計が読なくなっていた。
時折、比較的に明るい場所でかすかに読めるが、キロ表示があるところで読めないので、
自分がどのくらいのペースで走っているか、はっきりしたことはわからない。

夜走るとペースがつかみ難いのは誰しも経験があるだろう。
眼下にクルージングを楽しんだチャオプラヤー川を見ながらプラ・ピンクラオ橋を渡る。
川沿いに広がる街のネオンを見て、いかにも真夜中だなあと思った。


暗いこともあって先頭はすでに見えなくなっていた。
50mくらい前には8人くらいの集団があって、距離を重ねるほどに
ゆっくりとその集団との距離が縮まっていくのがわかった。

距離表示は2キロ毎にあった。
そこには必ず給水所が設置されていて、
中には、ほとんど真っ暗闇状態の給水所もあった。

高速道路だから沿道の応援は皆無。
応援は給水係の方や所々にいる誘導係など大会スタッフの方々だけ。
何もかも日本の大会とは違っていた。



正確なペースはわからなかったが、とにかく抑えに抑えた。
6キロ地点、これで1/7まで来たことになる。
先は長いけど、こうして足を動かしていれば残りの距離は着実に減っていく。

そうやって、2キロ毎の給水所のたびに自分を励ましていた。
振り向くと、100mもない距離にS藤さんの姿があった。
やっぱり、と思う。そう、これは想定していたこと。

日本を立つ前は「今度は世界の50歳代がライバルです」なんて言っていたが、
わかりきっていたことだけど、最大・最強のライバルはこのS藤さんだ。
これまでの陸上経験で言えば、おれとは大人と子供のようなもの。

すでにおれにとってお兄さん的な存在になっていたS藤さんだが、
レースになれば、当然のことながら優勝を争う相手。
S藤さんに先着しなければ、年代優勝という目標は達成されない。

あらためてそのことを思うと自然と足に力が入りそうになるが、
それを必死に抑えてペースを維持した。
なにが起ころうとも、10キロまではアップジョグだ。

コトン…

何か落ちた音がして思わず振り向く。
5メートル後方の路上、何かが街路灯に照らされているのが見えた。
それは、みっちゃんとチャコちゃんから貰ったチョコだった。

ゼッケンの裏に付けておいたのが取れて落ちたのだった。
急いで戻り、拾い上げ、ランパンの中に仕舞う。
バンコク用に新調したこのランパンには、ポケットがなかったのだ。

走りながら手でランパンを探る。
縫い付けておいたドングリとイチョウの葉をいれた小さな袋は無事。
ランパンに入れたチョコは、走るうちに移動して、
オ○ン○ンの横で落ち着いた。

その後、チョコはずっとその場所に留まっていた。
みっちゃん、チャコちゃん、
どうも、ゴメンナサイ!


すぐ目の前まで集団が近づいてきた。
時折、タイ語で何かを言い合っているのがわかった。
ここまで一緒に来たことで、集団に仲間意識ができていたのだろうか。

なんとなく、その集団に入る気になれなかったこともあって、
追いつくと集団に留まることをしないで、そのままのペースで抜いていった。
すると、おれの背中で集団がにわかに騒がしくなった。

「おい、なんだアイツ。背中に【 JAPAN 】ってあるぞ」
「ふん、外国人か。何歳なんだろうな」
「おい、お前行って見て来いよ」

ひとりの男がおれの少し前に出るなり、おれのゼッケンに顔を近づけガンミ。
ゼッケンには「M 50-59」(男子50歳~59歳)とエイジのクラスが書かれている。
彼は暗い中で必死にそれを読み取ろうとしているのだ。

ゼッケンをしばらく見た後、
「え、マジ?」という目でおれの顔をみて後退していった。
後ろの集団で彼が報告する声が聞こえた。

「アイツ、フィフティだってよ」
「バカ、お前そんなわけねえだろ。しっかりしろ!」
「うそだと思うならお前見て来いよ」

今度は違う男が来て同じようにおれにゼッケンを覗いた。
そして、同じように「マジかよ」という目でおれを見た。
おれは知らぬ顔で自分のペースを保った。

「なあ、お前、本当は何歳なんだ」そいつが聞いてきた。
おれはゼッケンを指差して「フィフティだ」と言った。
「そうなのか・・・」

彼は渋々と言って後退すると、
「フィフティだって言ってる」と集団に報告した。
「な、そうだろ」とさっきの男が言うと、またもや
「お前ら揃いも揃って騙されてんじゃねえよ!」
という声が聞こえた。



皆さん言わずともわかっているでしょうが、
集団の会話はタイ語なので内容はすべておれの想像です。
おれに聞いてくるのはカタコトの英語で、もちろんおれもカタコトの英語で応じてます。


今度は別なオッサン風の男がおれの横にやってきた。
「よう、ジャパニーズランナー。お前の本当の歳を教えてくれや」
「オメーらしつけーな、さっきからフィフティだって言ってんだろが!」
おれはちょっとイラついた声で応えた。

さて、彼らはなんでこんなにおれの年齢が気になるのか?
それはズバリ、エイジ優勝には高額の賞金が出るからだ。
タイのお金で3万バーツ、日本円で約10万円だ。

タイの物価を考えたら日本での30万円くらいに相当するだろう。
年代優勝でそれだけ稼げるのだから、目の色が変わって当然のこと。
国内の猛者たちが賞金ゲットを目論み、こぞってエントリーしてくるのだ。

彼らがまさに、タイ国内の猛者ということになるのだろう。
その集団におれと同じクラスの選手がいるかどうかはわからなかったが、
どっちにしても、おれの最大のライバルはS藤さんであることには変わりない。

「そういうお前は何歳だ?」
今度はおれが聞く。
「おれは・・・、フォーティだ」
と、オッサン風タイ人は目を逸らして小さく答えた。

いまだにおれが50歳代だということを信じてないらしい。
タイ人が元々疑い深い国民なのか、タイでは日本人が信用されてないのか。
それは定かではないが、おれはかまわず自分のペースを刻むことに集中した。

日本に帰ってリザルトをみると、チェックポイントのタイムからみて、
どうやらこの集団の中に50-59がいたらしい。
だとしたら、このオッサン風タイ人がそれくさい。
あの野郎、嘘つきやがったな。


真正面、視線を少し上に移すと、まん丸の月が浮かんでいた。
10キロまではアップジョグ、10キロまではアップジョグ。
それを何度も何度も自分に言い聞かせた。

暗くて時計が読めなかったのはラッキーだったかもしれない。
後で確認したら8キロ地点では31'42で、ほぼキロ4分。
抑えようという気持ちがあっても、
このタイムを見たら間違いなくペースアップしてしまっていただろう。

距離を重ねるほどに後ろの集団からひとり、またひとりと脱落していくのがよくわかった。
アップジョグ終了予定の10キロで振り向くと、すぐ後ろにはすでに二人だけになっていた。
当初の予定通り、ここからが本当のレースだ。

若干、スピードを上げる。
ただし、それもわずかなペースアップに止めた。
まだ32キロを残しているのだから、ここで足を使うわけにはいかない。

10キロ過ぎたら、今度は折り返しの16キロを目指した。
2キロ毎の給水では最初から十分に水分を補給した。
夜中とはいえ、夏のフルマラソンだから脱水が一番コワイ。

ただ、今から考えると帰りの機内での下痢は
この水がいけなかったかなと思わないでもない。
まあ、たとえそうだとしても、レース中に脱水になるよりははるかに良い。
下痢になるとわかっていても、この給水はしっかり取ったと思う。

12キロ、14キロと進むにつれて、
これまで慢性的に違和感のあった右太股の痛みが次第に増してきた。
体力的にはもっとスピードを上げても良いくらいの余裕はあったが、
とにかく16キロ、そしてその先の30キロまでは我慢するしかないと思った。

14キロを過ぎると身体に力が戻ってくるように思えた。
あと2キロ行けば折り返しがやってくる。そうすれば今より楽に走れる。
まるで根拠はないけど、折り返しまでは緩やかに上りで、
折り返したら下りのように思っていた。

16キロの給水所が見えた。
ここまで抑えてきたので右太股以外にはほとんどダメージが無いように思えた。
この調子なら、残りの26キロをなんとか走りきれるだろう。

ところが、いくら行っても折り返さない。
そのうち、なんと高速道路を降りてしまった。
おいおい、こんなの聞いてねえぞ!いったいどうなってんだ!?

前にはひとりのランナーも見えない。
立っている係員も所々に点々といるだけ。
もしかしたら折り返し地点を見逃してしまったのか?
横浜駅伝で同じミスをしたコージのことが何度も頭を過ぎる。


一瞬、パニックになりかけたが、それはあり得ないな、と思い直した。
現に、こうして走っている道路は封鎖されているし、所々だが係員も立っている。
だいいち、折り返しがあったらトップのランナーとすれ違っているはず。

18キロまで行ったところで、ようやくコースが変更になったのだと合点した。
おそらく、スタート前には何度もアナウンスされていたのだろうが、
どうせ大会を盛り上げるためだけのアナウンスだろうと思って聞いてなかった。
むろん、聞いていたとしてもタイ語なんか理解できないけど。

そのうち、ようやくトップが折り返してきてホッと胸をなでおろした。
これでコースミスという最悪のパターン(コージ、ごめん)は免れた。
不安がなくなると、やったるぜ、という気持ちが蘇ってくるようだった。

19キロを過ぎたあたりに折り返しがくると、
「おい、折り返しを間違えるなよ!」と後ろから声が掛かった。
折り返してみると、おれの後ろにはその声の主がひとりいるだけだった。

「サンキュー」後ろに向かって言った。
しばらくして、20キロの給水所が現れた。
今回もしっかり取らなければ、という気持ちが大きすぎたのか、

「あっ、しまった!」

コップを取り損ねた。
ちょっと動揺したが、すぐ後ろを走っていた選手が、
「おい、お前。これ飲め」と自分で取ったコップを分けてくれた。

「サンキュー」と、おれは彼に2度目のお礼を言った。
彼はおれの横に並んで、「お前、フィフティだよな?」と言った。
おそらく彼もあの集団にいたひとりだっただろう。

わりとガッシリした体型。
ランシャツにタイ語でいろいろ書いてあったのでタイ人だろう。
ランナーらしい、実直な感じの男だった。

「そうだよ。お前は?」おれが聞く。
「フォーティだ」そう答えた顔には嘘はなかった。
「そうか、ナイスランだ」
おれが言うと、彼は嬉しそうにはにかんだ。

そこからはずっと二人旅だった。
ある時はおれが先を走り、ある時には彼が前に出た。
そうやって、まるでランデブーのようにふたりで淡々と距離を刻んでいったのだった。

    【    つづく   】    


すいません、今日はここまで。
たぶん、あと2回では終わりません。
いつもダラダラとスピード感がなくて申し訳ありません。

おやすみなさい。
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第26回スタンダード・チャータードバンコクマラソン2013 レースレポート【その1】
2013-11-24 Sun 23:00
いろいろと思うところがあるにはあるのですが、
バンコクマラソンのレースレポートを載せることにしました。
今も迷いがないわけではありませんが、
応援してくれた方のためにも、自分のためにも、アップすることを決めました。

ただし、何分オッチョコPですから誤字、脱字、間違いなど、
お読みぐるしいことは多々あるかと思いますがご勘弁ください。
特に、ここに登場する方には、「ここ違う!」なんてことがあるかも知れません。

それもすべて、みなさんの広い心で受け止めてください。
長くなると思うので何回かに分けてアップすることになると思います。
今日はその1回目、ということで…。

   第26回バンコクマラソン2013 レースレポート【その1】   


いよいよバンコクマラソンを明日に控えた朝は雨。
そぼそぼと降る雨に濡れながら早朝のバンコクの街をジョグ。
独特の匂いが、とても心地よい。


明日といっても、スタート時間は日付が変わってすぐ、
夜中の2時だから、実際にはもう十数時間しかない。
運命の時は、もうすぐ目の前に迫っていた。

バンコク滞在2日目の今日は3つの寺院めぐりの後、免税店とショッピングセンターへ。
幸いバスを降りるまでに雨は止み、寺院めぐりは興味深く思い出に残るものになったが、
その反面、一日中歩き回ってクタクタに疲れてしまった。

足の疲労も相当なもので、今回、同じく山中湖ロードレースを優勝して派遣された仲間と
「レース前日にこんなのって絶対にありえないよね!」と言い合った。
ここで、バンコクマラソン参加の山中湖仲間を紹介しよう。

山中湖ロードレース男子1周コース優勝での参加はS藤さん。
S藤さんは一昨年のハーフでも優勝してシンガポール遠征を経験している。
学生時代は都大路・箱根と活躍した名ランナー。

地元の富士宮では有名な方で「富士宮熟年ランナーの星」の異名を持つ。
最初に成田でお会いした際、爽やかに右手を差し出して、
「どうもS藤です! 風邪治りましたか?」と聞いてくださった。

そう、S藤さんはこのブログを読んでくれていたのだ。
シンガポールには一人で行かれたが、今回、おれが女房を連れて行くことを知って、
S藤さんの美人の奥様も同行を決めてくれたのだという。
結果的に、女房にとってとても心強い存在になってくれた。


女子ハーフ優勝での参加はI川ミサオちゃん。
このひと、ほんっ…っとに、明るい女性!
今回のバンコク遠征が楽しいツアーになったのは8割くらいはこのひとのお陰だろうね。
人を惹きつけるパワーを持った、人間的にも魅力的なランナー。
きっと地元じゃ相当な人気者なんだろうと思う。


女子1周コース優勝での参加は吉田賞も授賞した日野のTマミちゃん。
富士森練習会にも参加したことがあって以前から面識はあった。
40歳を過ぎてからランニングを始めた遅咲きながら脅威のスピードを持つ。
富士森のアヤコさんに勝っての山中湖ロード優勝だから、相当な実力の持ち主である。
4人の中で唯一、今回はハーフマラソンに出走する。


さて、観光とショッピングからホテルに帰ったのが夕方4時半過ぎ。
いよいよ数時間後の深夜2時にフルマラソンの号砲が鳴る。
この棒のようになった足から、あと数時間でどうやって疲労を抜くか。

考えた末に、ホテルのマッサージルームで解してもらうことに決めた。
受付係の女性のおススメは足の60分コースだったが、
できるだけ多く寝る時間を確保したかったので30分に短縮してもった。

マッサージから戻って、ツアーで出されたおにぎり弁当のおにぎりを1つだけ食べ、
ランシャツにゼッケンを付け、シューズその他も準備して7時半頃にはベッドに入った。
集合の11時50分まで4時間ちょっと眠ることができる。

しかし…眠れない。
疲れているのに、眠気が訪れる気配すらまったくない。
まだ7時半だから当然といえば当然だ。

うつらうつらしたのは1時間くらい経ってから。
しかし、熟睡できずにすぐに目を覚ましてしまう。
何度か眠ろうと努力したが駄目で、結局10時には諦めてしまった。

こうなったらもう開き直るしかない。
悶々としているのも嫌なので、ベッドの上でストレッチを始めた。
眠れないでイライラするより、この方がよほど良いだろうと思った。

11時にベッドを出て出発の支度を始めた。
昨日、コンビにで調達したパンに日本から持ってきたチューブ入りのあんことバターで
特性の「勝利の方程式」を作って食べた。


見栄えは良くないが、これが大成功。
日本で食べるまんまの「つぶあん&マーガリン」の味。


11時45分に女房に見送られて部屋を出る。
集合場所のロビーにはまだ誰もいず、しばし待つ。
ところが集合時間になっても誰も現れない。

もしかしたら駐車場に集合だったかな?
そう思ってホテルの玄関を出たところでS藤さんに遭遇。
やっぱり駐車場に集合だったか。

…と思ったがS藤さん、「散歩ですか?」
S藤さんはコンビニにコーヒーを買いに行った帰りだった。
そう、集合時間は11時50分ではなく12時50分だったのだ。

いつもスタート2時間に現地入りする自分の感覚では、
2時のスタートならいくら遅くても1時間半前の12時半には到着しているのが普通。
そういう頭があったので、当然、12時にはホテルを出ると思い込んでしまったのだ。

いったん部屋に戻ってやり直し。
現地ではほとんどアップをする時間も無いだろうから、
せめて部屋でできる範囲で準備運動を行って時間を待った。

12時45分、女房に再度見送られて部屋を出る。
ロビーに行くと、今度はフルの参加者4名とツアー会社のK池さんがいた。
山中湖組ではTマミちゃんを除く3名が集合。

ハーフのスタートは4時なので、Tマミちゃんは2時50分の集合。
女房とS藤さんの奥様も、ハーフのひとと一緒に現地に向かうことになっていた。
ワンボックスにフルの参加者4名が乗り込んで出発。

深夜のバンコクの街をワゴン車がひた走る。
チャイナタウンではこんな時間だというのに結構な賑わいだった。
中には小さな子どもの姿もあって、みんな屋台での食事の最中だった。



意気込みも相当にあったし、たくさんの応援に送られてここまできた。
絶対に結果を残すという強い思いもあった反面、
普段のレースとは比べ物にならないくらいのプレッシャーがあった。

果たして本当に年代優勝できるのだろうか。
それ以前に、フルマラソンの距離を走りきれるのだろうか。
考えれば考えるほど不安がつのっていく。

ゼッケンの裏には、出発前にみっちゃんとチャコちゃんから
「縁起物だから」ともらったチョコをホチキスで止めてあった。


後半、苦しくなった時にこれを食べて元気を出そうと決めていた。
そのチョコに触れていると、少しだけ不安から解放される思いがした。

おれの緊張を察したミサオちゃんが、
「何、何? 緊張してんの? 大丈夫、大丈夫!今度もアベック優勝しちゃおうよ!」
アッハッハッハー!と明るく笑って励ましてくれた。

同じ歳ということもあって、彼女とはお互い遠慮が無い。
「そうだな。今夜はビールたくさん飲んで盛り上がろっか!」
「そうそう、タイビールじゃなくて、スーパードライでね!」

彼女の底抜けの明るさに救われた。
決して大げさではなくて本当にそう思う。
そのことが、冷静にレースを進められる要因にもなったと思う。



現地に着いたら、すでにスタートまで40分くらいしかない。
もうアップしている時間はないだろう。
荷物を預けてトイレに行ったら、すぐにスタート地点に並ばなければならない。

全員揃ってトイレに行く。
「ねえ、アタシのこと置いてかないでよね!」
ミサオちゃんが言う。

「わかった、わかった。ちゃんと待ってるから行って来い」
でも、トイレは日本と逆で女子より男子トイレの方が混雑しているようだった。
トイレで用を足して、さて行こうかと思ったところで声をかけられた。

「どうも、いつもブログ読んでます!」
知らない土地で、しかも海外で、こんな体験するなんて夢にも思わなかった。
「ありがとうございます!!」

こんな有難いことってない。ブログやってて良かったよ。
異国の地での心細さが一気に解消した。
こうして見知らぬ人の中にも応援してくださる方もいるんだなあ。

「よし、やるぞ!」

自然とそういう気持ちが沸いてきた。




スタート20分前にはスタート地点の3列目くらいに陣取った。
ここでもS藤さん、ミサオちゃんと固く握手を交わし、
もう一度、スーパードライで乾杯しよう!と言い合ってスタート時刻を待った。


そして、夜中の2時ジャスト、
スタートの号砲ならぬホーンが王宮前広場に鳴り響いた。
タイ人、ケニア人、スペイン人、そして日本人。
世界のランナーが一斉にスタートした!


    【    つづく   】    


やっとスタートしたところですが、
すいません、今日はここまで。
続きはまた明日以降に。

おやすみなさい。


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05/27(月) 風邪悪化。
2013-05-27 Mon 23:59
朝起きて腹の具合はだいぶよくなっていたが、
まだなんとなくおかしい感じがしていた。
風邪の方は明らかに悪化の傾向。

今日は我慢の1日だった。
明日になって回復していればいいけど、
今日より悪くなっていたら辛いな。

昼も夜も走らなかったので、たくさん書けた。
さて、これは良いことなのか、悪いことなのか。
さあ、どっち?

    【第33回スポニチ山中湖ロードレース】     

朝の計量、61.2kg。
実際にはもう少し絞れているはずだが、ここ2~3日便秘気味。
大きなレース前はこういうことがよくある。

それだけ、レースにかける思いが大きいせいだろうけど、
緊張し過ぎても意気込み過ぎても、あまり良いことはないから、
嫌でもそのうち出るだろうと、トイレのことは極力気にしないことにした。


起床時は4時40分にかけた目覚ましを止めて寝てしまい、
5時に女房に起こされ、慌ただしく仕度した。
応援に来てくれる予定だった息子は風邪でダウン。

女房も咳が止まらず苦しそう。
3人の中ではおれの症状が一番軽かったのは幸いだったのか。
出発は5時40分頃、高尾インターから、一路山中湖へ。




このレースは初めての参加だが、3連覇を狙うみっちゃんの計らいで、
スタート地点のすぐ近くの八王子ランナーズさんが常宿にしている
湖明荘さんに車を止めさせて頂くことになっていた。

結果的に、これが勝負を分けたのかも知れない。
湖明荘さんで着替えさせて頂き、アップを済ませて、
スタートまであと20分という時になって、ようやくキターッ!

あの時間、トイレは長蛇の列だったので、並んでたら間に合わなかっただろう。
湖明荘さんのトイレでスッキリ爽やか。
気持ち良くスタートに向かうことができた。

昨夜寝る前と今朝に飲んだ痛み止めが効いて、
右足の痛みはほとんど感じないまでになっていた。
スタートに向かう前にもう2錠服用。

スタート地点では、去年の巨峰の丘マラソンでも声をかけて頂いた、
八王子在住のランナーさんよりエールを受ける。
そして、イシモトさんミキちゃんの応援、一周を走るお遍路フクちゃんと固い握手。

よっしゃ、気合い入ってきたよ~。


ところがスタートまで3分という時になって、なぜか喉がカラッカラ。
さっきまでいた女房を探すが見つからないので、
ミキちゃんに「水持ってる?」と聞いたが、ゴメン、持ってるわけないね。

まあ最初の給水でとればいいや、と開き直った。
運命の号砲は9時15分、レースは無事に定刻スタート。
足の痛みはほとんど感じなかったが、身体の動きは最悪だった。

今日はほとんど流しをやらなかったせいかも。
アップで足を痛くしたら元も子もないから、これは致し方ないところ。
しかし、走れど走れど、身体は一向に動いてくれない。

いつもは一番速い最初の1キロでさえ3'33かかる。
標高の高さに加え、今日は気温も高くなりそうだ。
これはキツいレースになりそうだと覚悟した。

集団は4~5人くらいで、一人出たら一人入る、みたいな感じで固定してない。
2キロ辺りでは、来月の横田駅伝のチームメイトのT中さんが加わる。
皆一様に荒い息づかいなのは、やはり酸素が薄いせいなのか。


自分より前に壮年の選手はいないと思っていたが、
5キロ付近で追いついたのが去年の覇者で青梅30キロでも3連覇中のNさんだった。
このひとに先着しないと優勝はないのか、と思うと途端に弱気になった。

1キロ毎のスプリットは序盤にもかかわらずまったく上がらない。
でも、Nさんだってこのペースなのだからと、
ペースのことはあまり気にしないようにした。

6キロ半からママの森に入り、だらだらとした登りが続く。
それほどの急勾配ではないが、登りが苦手なおれだから、
ここでNさんに逃げられるのではないかと思った。

しかし、今日はNさんの調子が悪いのか、一向に抜いて行かない。
結局、坂を登り切るまで抜かれることはなかった。
ここで、もしかしたら行けるかも、と思った。

勝負がレース後半に持ち越されれば、たぶんNさんにはかなわない。
決めるならこの下りしかない、と、まだまだ序盤戦だったが、
ここで勝負をかけることにした。

得意の下りでNさんとの距離を一気に広げた。
相変わらず身体の動きは良くなかったが、
気持ちで負けないよう、積極的に攻めた。

11キロを過ぎ、湖の西側を回って山中地区の長い直線に入るとかなりの向かい風。
これ以上無理して攻めれば必ず後半にバテる。
そう判断して、ここは一転して省エネ運転。

がんばって前を行く長身の若い選手に追いつき、
彼の後で引っ張ってもらうことにした。
ちょっとペースは速いかも知れないが、14キロまでは我慢して着いて行こうと決めた。

とは言え、ずっと彼が先行でも彼がバテる。
そうなるとこっちも困るので、たまに先行しようと前に出ようとするが、
さすがに若い選手はオッサンに先行されるのがイヤらしく、前を走らせてくれない。

12.5キロでイシモトさん、13キロでは女房の応援。
今日は暑くなると踏んでいたし、給水所のコップだと十分に補給できないかも知れないと考えたので、
女房に小さめのペットボトルの水を頼んであった。


それを受け取り、むせないよう慎重に飲んだあと、
首筋や腕、背中、股などをにかけて冷やした。
これも非常に効果的だったと思う。

14キロを過ぎると若い選手のスピードが鈍り出したのて、
今度はおれが彼を引っ張る番だと思って前に出た。
がんばって着いて来い、と心の中で叱咤したが、やがて彼の足音はしなくなってしまった。

そこからは、更に前を行く若い選手に追いつこうとしたが、
彼とも、その前を行く選手とも距離は縮まらない。
足はどんどん重くなり、足裏が焼けるように痛みだした。

16キロ、残りはたった5キロだ。
日差しが強くなって気温も上がり、さすがに苦しかったが、
ここでスピードを落とすわけにはいかない。

すぐ後にはNさんが来ているに違いない。
ちょっとでも弱気心を出したりしら最後、
あっという間に追いつかれてしまうだろう。

折り返してきたランナーのゼッケンを見ながら、
まさかおれの前に壮年の選手はいないだろうな、
と思いながらも、ちょっと心配な気持ちで確認していった。

ようやく自分が折り返して壮年トップであることを確認。
問題はNさんとの差だけど、計りはしなかったが30秒くらいだった。
残る距離は4キロ、もしNさんがキロ5秒アップし、おれが5秒落としたら逆転負け。

しかし、ここまで来て負けるわけにはいかない。
何が何でも、絶対に絶対に絶対に勝つ。
心の中で何度も繰り返して自分を鼓舞した。

折り返しに向かうランナーから声がかかる。
スタートでエールをくれた八王子在住のランナーさん、
そして、八王子ランナーズの同級生ランナーF田さん。

「ひろさん、ガンバレ!」

残り2キロ辺りで右足に異常発生。
ハムストリングが硬直して、つりそうになる。
これ以上は無理できないと、少しスピードを抑える。

もちろん、追いつかれたくはないけれど、
ここで足がつったら勝負が終わってしまう。
何度か振り返りながら、ギリギリのところで足を動かした。

残り1キロを切って、村役場の前で再び女房の応援。
カーブを曲がり、最後の登り坂に入ると、係員の方が
「壮年トップ、15001番通過」と無線機に向かって言った。

ああ優勝できるのかなあ、と思った。
しかし、朝は大したことないと思った坂が、キツイ、キツイ。
歩いちゃおうか、なんて気になる。

すると、そこで1周の部を走り終わったみっちゃんとチャコちゃんのゲキ。
なんというタイミング。
キツイ身体にムチを入れて、ラストスパート。

「壮年15001番、入ります!」
係員の方が拡声器で前方に促す。そのすぐあとで、
「壮年150**番、入ります!」と聞こえた。

Nさんがもうすぐ後ろまで迫って来ているのだ。
最後の力を振り絞って、カーブを曲がって大会会場に入っていった。
ゴールゲートが、もう目の前にあった。

「壮年トップ、行ったよ!」
係員の方が拡声器を使って呼び掛けたのだけど、ゴールテープを持った女の子は気づかない。

ええっ?!
頼むよ、ゴールテープ出して!
早く、早く~。

ここでちょっとだけスピードダウン。
「おーい、壮年トップ行ったって!!」
再度声がかかり、ようやく気づいてくれて、
ふぅ、ギリギリ間に合ったー。

念願の山中湖ロードレースのゴールテープ!
ガッツポーズで切って、キモチイイー♪
Nさんとの差は、最後は20秒もなかった。

ゴール後、ちょうど1周コースを走り終えた走ろう会の面々に遭遇。
みんな喜んでくれて、おれも嬉しさ倍増。
ありがとう!!


やったぜ、一番!


あー、でもお腹いっぱい。
ハーフはもういいや。
来年は1周コースで優勝を狙おっと。

表彰式にはD51会長はじめ、走ろう会から何人も駆けつけてくれた。



1周コース、壮年女子準優勝のアヤコさん、
一般3連覇達成のみっちゃんと4位のチャコちゃん。
美人に囲まれて、今日一番の笑顔を見せるピンクのオッサン。


スペシャル良い1日でした。
みなさん、ありがとうございました。
また一緒に楽しみましょうね。

    【    おしまい   】    

<今日の練習内容>
(昼休みラン)
なし。

(帰宅ラン)
なし。

<今日のデータ>
今日の走行距離     0.0km 
今日まで       283.0km。
平均          10.4km/日
体重          60.0kg。
体脂肪率        6.5%

筋ト:S×0,P×0。




nd
bb02
ab
bd05
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05/21(月) 慎重に。
2012-05-21 Mon 23:59
左足の痛みは、少しずつ回復しているようにも感じるが、
全快まではまだまだ、といったところ。
昼休みは負荷ゼロの8分/kmで3キロだけ。

帰りもゆっくりとある程度の距離を歩こうかと思ったが、 

ちょっと心配だったので、今日のところは中止。
いつもの痛みとは、ちょっと違う気がする。

従来の足低筋やモーさんではなく、
なんとなく、骨の痛みのように感じるのだ。
しかも、痛いのは一昨年に骨折したところ。

なんとなく、嫌な予感がしないでもない。
ここは疲労骨折もしやすいところだから、
慎重に様子をみることにして、電車で帰った。


帰る途中に走ろう会のI本さんから電話があって、
何かと思ったら、「ランナーズに写真が載ってたよ」とのこと。
どうも、タニマリ10Kの時のものらしい。

I本さんは年間購読だから今日見ることができたけど、
書店に並ぶのは明日になるらしい。
楽しみだな。I本さん、ありがとう!


さて、いつまでもダラダラと続けるわけにいかないから、
今日は遠征レポートを最後まで書いちゃうことにする。
睡魔がナンボのもんじゃい! 

今夜は徹夜してでも終わらせますぜ。

    【2012仙台国際ハーフマラソン大会】     
            【遠征レポート《ゴール、そして…》】

残り2キロの表示を待っていたかのように、
3人の集団の中で一番若いと思しき選手がスピードを上げた。
この距離からのスパートはキツいが、離されまいと追った。

同じ一般の部だけに、よけい負けたくない。
ペースは一気に3分20秒/kmまで上がる。
もう一人も粘っていたが、じわりじわりと離れていく。

また、太もも裏がつりそうになるが、
ギリギリのところでスピードを維持する。
スパートをかけた選手との差が20mにひらいた。

その間に何人か抜いたが、みな陸連登録の選手だった。
前方100mほどの間に、10人くらい見えた。
ゴールまでにできるだけ抜いてやると、最後の力を振り絞った。

20キロ地点、ややスピードが鈍る。キツい。
すでにKスタ、そして、競技場の照明塔が見えていた。
ゴールはもう、すぐそこまで来ている。

足もスタミナも限界近いが、ここで頑張れなきゃ意味ない。
もう少し、もう少し、最後まで集中だ。
そう自分に言い聞かせ、歯を食いしばった。

そして、ついに残り1キロ。
「もうちょっとだよ、頑張れ!」
たくさんの応援の中、右折して競技場の敷地に入る。

スピードの鈍った何人かを抜いていくが、
ラスト2キロでスパートした選手との差は縮まらない。
それでも、1秒でも早くゴールしようと足に力を込めた。

競技場に入ると、ものすごい数の人がスタンドを埋めていた。
あのスタンドどこかで、女房と息子も見ているはず。
そう思いながら鮮やかなブルーのトラックを蹴った。

時計を確認する。1時間15分を20秒ほど過ぎている。
残りは200m、何としても15分台ではゴールしたい!
これが本当の、マジスパートだっ!

急げっ!急げ~っ!

最後のコーナーを曲がって直線に入る。
力いっぱい腕を振って、少しでも推進力をつけようとした。
あと30m、あと20m、10m! そして…

ゴ~~~~~ル!

時計を見ると、どうにか1時間15分台だった。
目標よりかなり遅れてのゴールだが、出し切った満足感はあった。
振り返り、深々と頭をさげた。

ありがとうございました!


「お疲れ様です!」
「完走、おめでとうございます!」

大勢の大会スタッフの方々に笑顔で向かえられた。
フィニッシータオルをかけてもらい、チップを返却する。

「ありがとうございます。ありがとうございます」

できるだけたくさんの方々にお礼を言った。
ひとりの方が、おれのユニのロゴを見て、
「わざわざ八王子から、ご苦労様でした」と言ってくださった。

「こちらこそ、ありがとうございました!」

なんか、ウルッとした。
あったかいな、仙台。
宮城って、本当にいいところだな。

今日のことは、間違いなく
一生の思い出になるだろう。
そう確信した。


まだ空いているうちに、と
Kスタのトイレで頭から水をかけて汗を流した。
荷物を取りに行くと、そこでも労いの言葉と笑顔で向かえられた。

丁寧にお礼を言って、更衣室に入る。
シューズを脱いで、ソックスも脱ぐ。
足底にはかなりのダメージがあった。

ハーフでこれだけ消耗するのだから、
フルを走るひとって、やっぱりすごいな。
今からもう一回ハーフ走れと言われたら、ゴメンナサイするしかない。


着替えを済ませ、女房と息子と落ち合って仙台駅に向かった。
走り終えたばかりで気持ち悪い感じもあったが、
お腹はペコペコ、喉はカラカラ。

仙台駅に到着したら、お楽しみのここに直行。


お昼時ともあって、どのお店も長い列。
3人であーでもない、こーでもないと、色々思案した結果、ここに決定。


まずは、皆さんご苦労様、ってことで。


来ました、善治朗定食。


麦飯三杯とともに一気に腹を満たす。
肝心の牛タンのお味は…
個人的には前回のお店の方が好みかな。


女房と息子は、
どちらも差がなく美味しかった!
とのこと。

美味しかったんだけど、前回の方がやわらかかった気がする。
しかし、牛タン自体は仙台産ってこともないだろうに、
なんで仙台で食べる牛タンは美味しいんだろね?

熟成の仕方とか焼き方とかの違いなのかな。
定番中の定番だけど、やっぱり仙台来たら牛タンだね。
ちなみに、牛タンソーセージは牛タンの味はしなかった。


新幹線の時間まで、チョコレートパンケーキにアイコ。


アイコ=アイスコーヒー。
注文を受けてくれた店員さんが、
厨房に向かってそう伝えてた。

思わず、「それ、懐かしい!」って思った。
高校生の時、確かに注文する時「アイコ、ひとつ」とか言ってた。
それから、「レスカ(レモンスカッシュ)」とか。

関係ないけど、横川町のすかいらーく(現在はガスト)は、
ヨコスカ、とか言ってたな。
マジ、どーでもいい話。スンマセン。


さようなら、仙台。
ありがとう、仙台。
ほんとに、ほんとに、楽しかった!


帰りの新幹線の中で確認したら、
参加者全員のリザルトは出てなかったが、
上位者の速報が発表されていた。

一般の部の8位までの中に、
40歳台で名前を見たことのある人が載っていた。
すげー。

失敗レースをやらかしておいてなんだけど、正直、悔しいと思った。
前日に飲みすぎた後悔はないけれど、
レースまでに万全の準備ができなかったことが悔やまれる。

もし、ここにおれの名前があったら、
どんなにかふたりを喜ばせてあげられただろう。
それができなかった自分が歯痒い。

たとえ前日に飲みすぎても、
それでもさらりと上位に入る。
そんな強さを身に付けたい。

そう思った。

それには、日々の努力しかない。
今回上位に入ったこの方も、そういう努力を積み重ねて
このような素晴らしいリザルトを残したのだろうから。

おれにできるかな?

いつも同じ失敗を繰り返すおれだから、
自信はなかったけど、でも、
ふたりを喜ばせるためだったら、
なんとなくできる気もした。



八王子には夜の8時過ぎにようやく到着。
疲れた~。さて、夕飯はどこへ行く?
って話になったら、息子が、

「どこでもいいから、食べ放題じゃないとこ」

だって。

息子よ、
いったい、おれの何に怯えてる?

結局、フジデニ(富士森のデニーズ)。
まずは、皆さんご苦労様、ってことで。
あれ? デジャヴ?


フォアグラハンバーグ温泉卵添え。


ここでも三杯飯だが、満たされず。
追加で中華麺(食べかけ)。


なんと、デザートメニューから、
あの「キャラメルハニーパンケーキ」が消えていた!
なんで? どういうこと?!

がっかりだよ、デニーズさん。
おれに断りもなしにメニューから外すなんて、
これは、はっきり言って暴挙だよ。

今度行く時までに戻しておいて下さい。
約束ですからね。


そんなショッキングな出来事もあったけど、
旅の最後も、和気あいあいと愉快な夕食であった。
二日間、3人みっちり一緒にいたのに、
最後の最後まで楽しい会話が途切れることはなかった。

家族の絆がより深まった仙台遠征。
楽しかった、美味しかった、仙台。
あったかくて、優しくて、
ものすごく元気だった仙台。


最後にもう一度、
ありがとう、仙台。


    【    おしまい。   】    

最後まで読んでくださった皆様、
(もしいたら、だけど)
ありがとうございました。

長々申し訳ございませんでした。

<今日の練習内容>
3.0km(トラック内側) フリージョグ。

(帰宅ラン)
なし。

<今日のデータ>
今日の走行距離      3.0km。 
今日まで      273.0km。
平均            13.0km/日
体重             60.2kg。
体脂肪率         6.5%


筋ト:Px0,Sx0。
3片:○
+A:S(+12)15×0。
モー :×
○nt,srs,ms
△cmx2
◎nr
d
bb55
bd37
ad52
★【 『ATTACK THE 1000』 】★

アタック自己記録 3分06秒54
アタック記録短縮 0分00秒00 
アタック回数  2回。
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05/19(土) 妥当な順位。
2012-05-19 Sat 23:10
昨日、帰宅ランを走ったのが失敗だったか、
今日は歩くことさえままならないくらい
左足の足低筋と甲が痛くてどうしようもない。

ということで、強化練習は見学。
しばらくは休んだ方がいいかも。
クロストレーニングを含め、要検討。


さて、仙台国際ハーフの一般の部の年代別順位が発表された。
おれは40歳台の4位という結果だった。
3位までには入らなかったが、一応入賞。(8位まで入賞)

各年代の入賞者の方には,
賞状と副賞を来週お送りいたしますので,
お楽しみに(^_-)-☆


とのこと。

T山くんも29歳以下で8位に入っている。
もちろん、こっちの方がはるかにレベルは高いので
8位というのはとても立派な結果だと思う。

おれの4位は、いかにも微妙な順位。
喜びはないけど、落ち込むような結果でもない。
こんなとこかなと思っていた、ほぼ予想通り。

まあ、失敗レースと言いながら3位じゃ申し訳ないから
微妙だけど、このくらいの順位が相応だったかも。
確かに、総じて4位相当のレースだった。

まあ、いろんな意味で。

でも楽しかったのは間違いない。
応援も素晴らしかった! ぜひ、また参加したい。
ちなみに、50歳台ではおれより先着したひとはいないから、
来年出たら年代別1位取れるかもね。
       
ただ、ひとつ気になるのは、

年代別の総合順位の発表は,
来週を予定しておりますので,
もう少々お待ち願いますm(_ _)m


とあること。
総合で年代別の順位をつけてくれるんだ。
そうなんだ。知らなかった。

大会要綱をもっとよく読め、
って話だな。

だとしたら、陸連登録で出れば良かったかな。
賞状と副賞はなくても、その方が良かったかも。
今度出るときはそこも考慮しよう。

    【2012仙台国際ハーフマラソン大会】     
           【遠征レポート《ついにレース終盤!》】

ヤバイ、
つ、つる…!

一瞬、リタイヤが頭を過る。
それだけはどんなことがあっても避けたい。
ここまできてリタイヤじゃ、泣くに泣けない。

スピードを落とすと、幸い症状が治まった。
どうやら、ここはしばらく様子をみるしかないようだ。
タイムは気になるが、ゴールできなきゃ元も子もない。                            
しかし、普段のレースで足がつることなどないから、
やはり、10キロを越えての距離で足に無理あったか、
あるいは、これも夕べの酒の影響なのか。

確かに、飲みすぎると足がつることもあるという話は聞く。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、
もう少し抑えて飲めば良かったかな、なんて思う。

その後は、足の様子をみながらスピードを加減した。
スピードを上げてみて、痛みが出ないことを確認して、
もう少しスピードを上げてみる。

恐る恐る限界近くまで上げてみたたが、
どうやら大丈夫そうなのでそのまま行くことにする。
とはいえ、もう3分40秒/kmペースがやっと。

16.5キロの折り返しで確認すると、
おれのしばらく前方には陸連登録の選手ばかり。
逆にその後すぐに一般の部の選手ふたりに追いつかれた。

ここから、おれを含めた3人で併走する。
1人がスピードを上げて前に出ても、
前に立ってからのスピードが伸びずに抜き返す。

レースも終盤にきているので、誰しもツライのだ。
見た目は抜きつ抜かれつのデッドヒートみたいだけど、
その実、お互いに引っ張り合いながらゴールに向かっている格好だった。

18キロ地点、残り3キロちょっと。
足も限界近くなってきていたが、スタミナもほとんど使った。
残り3キロが、やたらと遠く感じる。

しかし、思えばたったの3キロだ。
普段ならあっという間に走りきっちゃう距離じゃないか。
そう自分を励ましながら、集中を切らさないように注意した。

「がんばれ、あとちょっと!」

ここまで来ても、応援は途切れない。
応援が途切れなかったから、ここまで集中して走れた。
本当に、本当に、有難い気持ちだった。


    【    つづく…   】    

今日は飲んじゃったのでこれが限界。
まあ、いつも飲んでいるんだけど、
いつにも増して、ってこと。

明日また頑張ります。
今日はこのへんで。

<今日の練習内容>
オフ。

<今日のデータ>
今日の走行距離      0.0km。 
今日まで      270.0km。
平均            15.0km/日
体重             60.2kg。
体脂肪率         6.5%


筋ト:Px0,Sx0。
3片:○
+A:S(+12)15×0。
モー :×

○nt,srs,nb


d
bd21
★【 もがく者さん企画『ATTACK THE 1000』 】★

アタック自己記録 3分06秒54
アタック記録短縮 0分00秒00 
アタック回数  2回。
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ひろさんって、こんなオッサン。

<span style= 【 がんばろう 】 


'06年6月、10Kmレースで惨敗。
悔しさから「来年は33分台で走る!」ことを宣言。
その過程を記すためにブログを始める。
しかし、一年後のレースでリベンジを果たせず。

'10年2月、青梅マラソン10km40歳台の部において33分30秒で2位。
4年越しでようやく目標達成!
しかし、ここで立ち止まるわけにはいかない。
次の目標は当然、「32分台で優勝する!」

そんなおれも、ついに50歳。
まだまだ俺は進化し続けるぞ!
今年もガンガン、走るぜーイェイ!!

こんなオッサンランナーだけど、
どちらさんもヨロシク~っス♪