04/21(月) 20周年
2008-04-21 Mon 12:50
今日は結婚記念日だ。
結婚記念日だからといって、例年は特別なことは何もしない。
そればかりか、気づかないうちに過ぎてしまうことも多い。

別に今年に限って特別なことなどないのだが、20年目ということもあって、
息子も一緒に、『野鴨の家』という欧風のレストランで食事をした。
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息子は「夫婦水入らずで」と言って遠慮したが、
父、母、息子の三人だけのコンパクト親子だ。
一人だけ置いていくこともあるまい。

結婚前、当時できたばかりのこの店に、ちょくちょく足を向けていた。
結婚して住んだのがこの近所ということもあって、
その後も何かあれば定期的に訪れていたのだが、
最近はとんとそのようなことはご無沙汰で、
今日はおそらく五年ぶりくらいではなかっただろうか。
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ワインのお陰ですっかり心地よくなった頭で
キャンドルの明かりに優しく揺れる白い壁をぼんやりと見ていたら、
ふと、朝に通勤のモノレールから眺めた多摩川を思い出した。

このところの雨で、多摩川も生き生きとして見える。
川上を向いた車窓から眺めると、ちょうど目の前が流れの速い瀬になっている。
豊かな水量は澄んでいるせいか、川底が青く透き通って見える。

朝の陽をキラキラと反射させながら蕩々と流れる様子を見下ろして、
なぜかおれは強い夏の日差しをうけた海を思った。
帯のような白い水しぶきが、押し寄せる白波のように見えたせいだろう。
聞こえるはずもない音に耳を傾けると、サラサラとした瀬の流れでなく、
どどどっ、と押し寄せて崩れる、あの波の音が聞こえてくるようだった。

息子が中学生の頃まで、毎年、夏になると南伊豆の海へ行った。
いつも家を出るのは夜中で、眠気を我慢して車を運転したっけ。
暗いうちに伊豆に着き、仮眠のあとで浜へでた。
海では息子と張り合うように、ボディーボードで波に乗った。

女房はいつもそれをパラソルの下で見ていた。
波乗りを終えて浜に上がった時、女房の呆れ顔を不思議に思ったら、
夢中のあまり、2時間近くも波乗りに高じていたのだと教えられたこともあった。

息子が高校生になってからは行かなくなってしまったが、
その息子も、来年は高校を卒業する。
そうなれば尚更、家族で海水浴など行くこともなくなるのだろうな。
そんなことを思っていた。


そう言えば、20年前ってどんな年だっただろう。
ちょっと振り返ってみる。

政治・経済の主なところでは、リクルート事件が明るみになった。
多くの政治家が辞任し、翌年4月25日に首相だった竹下登も退陣、総辞職となった。

青函トンネル、瀬戸大橋が開通したのがこの年。
青函トンネルも瀬戸大橋も、20年間通ることがなかった。
北海道にも四国にも、旅行で連れて行ってあげられなかったのだ。
それどころか、関西だって東北だってない。この点は、非常に申し訳なく思う。
この先、通ることがあるか? まあ、期待は薄いだろうな。
ほんと、申し訳ない。

それから、東京ドームが完成したのもこの年だった。
広さを表現する「東京ドーム○○個分」なんて言い方も、
思えばここ20年来のことなのだ。

ソウルオリンピックはよく憶えている。
陸上の100mで金メダルをとったベン・ジョンソンが、薬物使用で失格になったっけ。
日本勢ではシンクロの小谷実可子選手や体操の池谷幸雄選手が活躍した。

芸能界では光GENJIの全盛期。
メンバーのひとりが先輩のいとこだった。
文学の分野では、吉本ばなな「キッチン」、村上龍「トパーズ」、
それから村上春樹「ノルウェーの森」が話題になった。

あれから、もう20年が経つのか。
今と大して変わらないようにも、ずいぶんと変わったようにも思える。
1988年に生まれた有名人には、玉置成実(歌手)、加藤ミリヤ(歌手)、
堀北真希(女優)、福原愛(卓球選手)、田中将大(プロ野球選手)、
斉藤佑樹(アマチュア野球選手)…といった人たちがいる。
みんな二十歳(はたち)なんだなあ。
おめでとう。

そうか、二十歳か。
おれたち夫婦も二十歳だ。成人だ。
夫婦として、いよいよ大人の仲間入りなんだ。
そのわりには、ひどく未熟な夫婦だけど……。

20年の間には、もちろん波もあれば風もあった。
時には高波だったり、暴風だったりもした。
逆に、流れを心もとないと感じたことだってあった。
それでも、こうして20年目を迎えることができた。
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もう一度、モノレールから見た多摩川を思い出す。
帯のような白い水しぶきが、押し寄せる白波のように見えた、あの流れを。
途絶えることなく、脈々と流れ続ける川の流れ――。
ずっと昔からそうだったように、これからもずっと変わりなく。

それは人の世のようであり、我々家族のようでもある。
色々なものが変わったようにも感じるし、
ずっと変わらないでいるようにも思える。

どどどっ、と崩れるあの波の音が、確かに聞こえた。


<今日の練習内容>
(昼休みラン)
なし。

(帰宅ラン)
なし。

<今日のデータ>

今日の走行距離      0.0km 
今日まで         19.0km
平均            /日
体重             66.3kg
体脂肪率          11.5%

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12/06(木) 銀杏並木。
2007-12-06 Thu 12:54
甲州街道を日野駅の手前、「日野駅前東」交差点で左折し、
百メートルほど行った「日野駅東」交差点を右折、中央線のガードをくぐってまた左折。
そこから日野駅のホームに沿うにして長い坂を上り始める。
この帰宅コースでは、ここが一番の難所である。とは言え、勝手気ままな帰宅ラン。
心臓を破られる心配はない。ゆっくり、一歩ずつ足を踏み出していけば、
ほどなく坂の頂上に到達する。焦る理由など、ひとつもない。

その坂の通りには、「大坂上通り」という立派な名前がつけられていた。
この辺りの町が、大坂上という地名なのだ。坂を上りきって、その通りを進んで行くと、
日野自動車本社前を目前に、甲州街道に戻る。
日野駅からこっち、甲州街道を通るのと、この「大坂上通り」を行くのと、
どっちが近道なのかは微妙なところだ。
しかし、元々走るのが目的の帰宅ランである。近道をしようという気など、さらさらない。
この道を通るのは、なんとなく、この道が好きだから。ただ、それだけのことだ。

ここは歩道の狭い道で、しかも途中まで意外と人通りもあるから、すれ違いには気を遣う。
車道を走らなければならないことも、しばしばある。しかし、裏路地とは元来こんなもの。
甲州街道を行けばその心配はないから、素直に大きな通りを行った方が
走りやすいことは確かだ。しかし、おれはあえてこの裏路地を行く。
好きに勝る理由などない。

甲州街道は、江戸幕府によって整備された五街道のひとつ。
日本橋を始点に、内藤新宿、八王子、甲府を経て信濃国の下諏訪宿で
中山道と合流するまで三十八の宿場が置かれた。
現在は国道二十号が甲州街道を継承している。

しかし、江戸時代の甲州街道がそのまま現在の甲州街道とは限らない。
同一の部分が多いことは確かだが、バイパスの完成などにより、
並行する別の道となっている所がある。この場合、古い道を「旧甲州街道」などと呼ぶ。

この「旧甲州街道」について、最近になって知ったことがある。実は日野駅の手前、
「日野駅前東」交差点を左折して行くのが「旧甲州街道」だというのだ。
すぐの交差点「日野駅東」をそのまま直進、宝泉寺を左にみて
緩やかな坂にさしかかったところで、道は中央線の線路に分断されて消失している。
古道は線路を挟んだ向こう側――そう、この「大坂上通り」につながっていくのだ。
古来から、大勢の旅人の行き交ったのが、
おれが裏路地と思い込んでいたこの道だったのだ。
好きな理由は、もしかしたらこんなところにあったのかもしれない。
道は人が造る。その歴史も人が創る。道に染みついた人の歴史が、
自然とおれの気持ちを誘っていたのかもしれない。

広大な敷地を誇る日野自動車本社の前を、時間をかけて行きすぎる。
しばらく行った先には甲州街道を隔てて反対側に、コニカミノルタの日野工場。
長距離界では言わずと知れた、名門実業団のここが本丸だ。
シドニーオリンピックのマラソン競技において、ここの陸上部に所属していた
ケニア共和国のワイナイナ選手が銀メダルを獲得した。
その時には、誇らしげに横断幕が掲げられていたっけ。
そんなことも、街道の歴史のひとつとして残っていくに違いない。

未来永劫、この道が甲州街道と呼ばれるとは限らない。
最近開通した日野バイパスの沿道が今よりもっと栄えてくれば、
もしかしたらこの道も「旧甲州街道」と呼ばれる日がくるかもしれない。
それでも、人が創った歴史が消滅するわけじゃない。きっとこれから先も、
この道は行く人の心を誘うであろう。

コニカミノルタ日野工場を少し行くと、歩道に「八王子市」という標識がある。
日野市と八王子市の境の標である。八王子に入ると、帰宅ランも
中盤から終盤へと突入していく。我が家まで、あと七キロといったところか。

この「八王子市」という標識を境に、歩道には銀杏の街路樹が整然と並ぶようになる。
八王子に入った途端に、景観は一変するのだ。この変わりようは見事と言っていい。
銀杏は東京都の「都の木」であるとともに八王子市の「市の木」でもある。
その昔、市の政策でもあって、シンボリックな銀杏の木を、
積極的に沿道に配したといったことがあったかどうか。
晩秋の頃には、色づいて落ちた銀杏の葉で、歩道は絨毯を敷き詰めたように、
一面が黄金色である。
温暖化の影響か、今年は冬になった今に、その時期がずれ込んでいる。
その絨毯の上を走っていると、なにやら後ろから足音が聞こえてきた。

 カサカサ、カサカサ……。

おや、今日も誰か抜いていくのか?
おれは咄嗟にそんなこと思った。実は足音がする前から、
おれはその気配を予感していたのかもしれない。あとから考えると、そんな気がする。
おれは前回、この道を走って帰った時のことを思い出していた。

あれは、先週の木曜日あたりだったのではなかったか。のんびりと走るおれの横を、
ごく普通の格好をした若いオニイチャンが、走って抜いていった。
そのオニイチャンは、それはもう、えらい勢いでおれを抜き去って、
そのまましばらく走ったところ、およそ二百メートルくらい先で、おもむろに、
なんの未練もなく走ることをやめ、歩きに変えた。その様子を見て、オニイチャンが
急いでいるわけでも、ジョギングを楽しんでいるわけでもないことが想像できた。

いくらおれがのんびり走っているからといって、走っていれば
おのずとオニイチャンに追いつく。良いも悪いもなく、これは必然。
おれがゆっくり走ってオニイチャンを追い抜こうと横に並んだ途端、
オニイチャンはまたもやスゴイ勢いでおれから逃げように走っていった。
どうやらこのオニイチャン、おれを意識して、
競争でもしているつもりになっているようだった。

こんな亀みたいにのろまなオジサンランナーなんて、チョロい。

そんな風に思っているのかもしれない。
こう見えても学生時代は陸上の選手だったんだぞ、なんて……。
のろまなオジサンランナーの「遅さ」を、有り難いことにこのオニイチャンは、
おれに教え与えようとしているのかも知れない。

そんなことを勝手に空想したおれは、なんだか少し面白くなって、
スゴイ勢いで抜いていったオニイチャンの後を、着かず離れず追っていった。
そして、またもやオニイチャンが歩きに変えた時に、
間髪を入れず、ゆっくりと抜いてやったのだった。

オニイチャンは、のろまと思っていたおれのことなど、とっくの昔に、
ずっと後ろの方に置き去りにした気になっていたようで、
歩いた途端に抜いたおれの姿を目の当たりにして、明らかに驚きの様子を見せていた。

オニイチャンはいよいよムキになって、今度は全速力でおれのことを抜き、
それまでよりさらにハイスピードで、必死になって逃げていった。
その後姿は、真剣そのものだった。感動的ですらあった。

むろん、おれは益々面白くなって、オニイチャンのすぐ後ろを、
できるだけ足音を立てずに、静かに静かに着いていった。
それは、間違いなく意地悪なオッサンの態度であっただろう。
悪事とは言わないまでも、悪趣味ではあったかもしれない。

しばらく走ったところで、オニイチャンが赤信号になる寸前の歩道を全速で渡っていった。
おれもすかさず着いていった。いくらなんでも、もう着いてこれまいと思ったのだろう、
オニイチャンは肩で息をしながら、ゆっくりと歩き出した。もうこの辺で十分だろうと、
そう安心したに違いなかった。

おれはその横を、できるだけゆっくりと、いかにものんびりとした風に、
のろまなオッサンの体で抜いていき、ごく自然な感じで徐々にスピードを上げた。
おれの後ろを、またもや足音が着いてくる。おれはさらにスピードを上げた。
オニイチャンも必死で追いすがってきていた様子だったが、
おれがキロ三分四十五秒を切るスピードに上げたところで、さすがに諦めたようだった。
足音は、寂しく遠のいていったのだった。

その時のことが、おれの頭をかすめたのだ。おれは咄嗟に、嫌だな、と思った。
もしこの足音があの時のオニイチャンなら、きっとリベンジに燃えているだろう。
もしかして、物陰にでも隠れて、おれが行きすぎるのは待ちかまえていたのかもしれない。
あのオニイチャンならやりかねない。オニイチャンの性格の、
本当のところは知る由もないが、おれはなんとなくそう確信したのだった。

もちろん、おれだって易々とリベンジを食らうつもりはさらさらない。
しかし、嫌だな、と思ったのには理由がある。週末に痛めた脹脛が心配なのだ。
今は故障の一歩手前の状態。こんなことで無理したら馬鹿である。
そこまでしたら、さすがに自己満足の範疇から外れるだろう。
かといって、オニイチャンにリベンジを返されることも、無性に我慢ならない。
やっぱり、おれは単純で馬鹿な男なのだなと、そう思った。

今日のところは涙を飲んでリベンジを受けるしかない。それが大人のやり方だ。
というか、普通のことか。仕方ない。おれは諦めて、さらにスピードを緩める。
さあ、オニイチャン。思う存分リベンジでもなんでもしておくれ。
そう思いながらゆっくりと走っていたが、どうしたことだろう。その足音は、
おれのスピードに合わせるようにして、どこまでも着かず離れずしてくるのだった。
まるで楽しんでいるかのように、面白がっているかのように、
おれのすぐうしろを着いてくる。

 カサカサ、カサカサ……。

オニイチャン、もしかしてこの前の仕返しのつもりか?
おれは、さらにゆっくりと走って、足音の主をやり過ごすことにした。
しかし、どんなにゆっくり走っても、足音は抜いていかない。
さすがに少しイラついてきた。もういいから早いとこ抜いて行けよ。
そんな気分で、走りながら、チラと後ろを振り返った。するとどうしたことだろう、
そこには誰の姿もなかったのだ。

近くに路地へ入る角もない。なのに、今まですぐ後ろを走っていた足音の主が、
忽然と姿を消してしまったのだ。おれは驚きとともに、
釈然としない気持ちを抱えて立ち止まった。
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今通って来た道を、よくよく見直してみる。だが、振り向いた先には、
誰もいない歩道が薄暗くあるだけだった。
落ちた銀杏の黄金色の葉が街灯に照らされて、まるで雪道のようだ。

どうにも不思議な気持ちになったが、いつまでも考えていたって仕方ない。
不思議だが、リベンジを食らわずに済んだ。気持ちを切り替えると、
少しホッとしたような気にもなる。どうせ気のせいだったと走り続けることにした。

しかし、どうしたことだろう。やはり走っていると後ろから足音が着いてくる。
ザック、ザック、と黄金の道を踏みしめながら走るおれのあとを、
確かにその黄金の葉を舞い上がらせて、足音が着いてくるのだ。

 道は人が創る……。

さっきなんとなく考えたことを、もう一度巡らせた。
江戸時代に甲州街道ができ、以来どれほどの人がこの道を行き交ったことだろう。
数え切れないほどの人の気持ちが、この道を創った。
中には道の途中で果てたひともいたに違いない。
往来の激しい道路だ。不慮の事故にあってしまった無念もあったろう。
そういった星の数ほどの人の想いが、この道を創っている――。

そんなことを思うと、暖まったはずの背筋に、ゾクッと悪寒が走った。
なぜか、今日に限って人通りがまったくない。沿道の家々にも、
そこに人が暮らしている気配が、どういうわけかまったく感じられなかった。

しばらく我慢していたのだが、ついに堪えきれなくなって、
おれは走りながら後ろを振り返った。立ち止まって確かめる勇気が、
臆病者のおれにはなかったのだ。しかし、やっぱりそこには誰の姿もない。
誰もいないのに、足音だけは着いてくる……!
これはいったい、どうしたことだ。誰もいないのに、足音がしているなんて…。

おれは前方にも注意しながら、ゆっくりと走りながら後ろを見ていた。
足音のする黄金色の歩道を、ようく、ようく見たのだった。すると……。

おれは可笑しくなって、思わず吹き出してしまいそうになった。
ぴんと張りつめていたものが、すっと外れたように、途端に気持ちが落ち着いていく。
足音の主を、ついにおれは突きとめたのだ。

それは、こういうことだった。
おれが走ったその後に、走るおれが作った風が、小さく渦を巻くようにして、
黄金の葉を舞い上げていた。それはたちまち歩道に落ちて、
カサカサ、カサカサ、と音を立てていた。足音の正体は、これだったのだ。
足音の主は、実は自分だった。自分の舞い上げた銀杏の葉に、
自分でおどおどと怯えていたなんて、これは笑える。

そこから先はおれもちゃっかりしたもので、
後ろの足音が楽しげにしているようにさえ聞こえた。
まるでスキップでもしているかのようだ。おれの方もなんだか楽しくなって、
ザック、ザック、と大げさに足音を立てながら、
この道が歩んだ歴史なんかに思いをはせる。
この道が造った、人の歴史に心を巡らせる。
なんだか、ちょっとばかり厳かな気分に浸る。そんなふうにしながら、
しばしの間、後ろの足音と一緒に走っていた。

 後ろの足音が、カサカサ、カサカサ。
 おれの足音が、ザック、ザック……?

あれ? おかしいぞ。ザック、ザック、の音じゃない。あらためて回りを見てみると、
いつの間にか銀杏並木は途絶えていて、おれの足音は、
いつものシューズの音に変わっていた。アスファルトを踏んでいく、
ごく普通の足音。でも……。

 カサカサ、カサカサ。

それでも後ろの足音は、おれの事情にはお構い無しに、
先ほどと変わらず聞こえていたのだ。
銀杏の葉を舞い上がらせるような、この足音って、いったい……。
気のせいかもしれない。おれはそれを確かめようと、後ろの足音に聞き耳を立てる。

 カサカサ、カサカサ。

気のせいなんかじゃない、確かに音がする。おれはその足音に、全神経を傾けた。
何度も確かめるように、その音を聞こうとした。すると、なんということだろう。
足音に紛れて、今度は何やら人の話し声が聞こえてくるではないか。

 ボソボソ、ボソボソ。

確かに、人の声がする。誰かが誰かに話しかけているような、そんな感じの声だ。
おれが背筋を凍らせながら、その声に耳を傾けると、その声はなぜか、
このおれに向かって話しかけているよな、そんなふうに聞こえた。

 ボソボソ、ボソボソ……。
 カサカサ、カサカサ……。

おれはもう、振り返ることができなかった。



<今日の練習内容>
(昼休みラン)

4.2km(1050mコース6周) ジョグ

TOTAL Time : 19:51.90   
 
     LAP      SPLIT      /km       AVE
01  05:13.73  05:13.73   04:58.79   05:13.73
02  05:05.29  10:19.02   04:50.75   05:09.51
03  04:41.98  15:01.00   04:28.55   05:00.33
04  04:50.90  19:51.90   04:37.05   04:57.98

/km AVE :04:43.79 (/10km :47:17.86ペース)

(帰宅ラン)
会社から、18km。

<今日のデータ>

今日の走行距離      22.2km 
今日まで         77.4km
平均            12.9/日
体重             66.0kg
体脂肪率          12.5%
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11/28(水) ドングリ。
2007-11-28 Wed 23:44
二周目を走り終える手前でウインドブレーカーを脱ぎ、
走りながらそれを植え込みに放り投げた。
以前、同じ事をして走っている間に無くなっていたことがあった。
最初は風で飛ばされたかと辺りを探したが見つからない。
落とし物として公園の管理事務所に届いているでもない。
そこではじめて盗まれたのだろうことがわかった。その記憶が脳裏をかすめたが、
あんなこと、そうそうあることではない。おれは理由もなくそう思った。

走り出した時には震えるくらいの寒さを感じていたが、
一周一キロ強の距離を二周走る間に身体はようやく温まり、
今はうっすらと汗まで出はじめている。
向かい風が、ポリエステル素材のシャツを通して身体をひんやりとさせる感覚で、
それがわかった。

厚い雲を通した頼りない陽が、木々の根本に寒々しい葉陰をつくっている。
最後にここを走った時、かいた汗が身体を冷やす感覚など少しもなく、
汗をかけば、かくだけ暑いと感じていた。

あの時には夏の名残りさえ感じられた公園内の風景も、
今はだいぶ冬の装いに傾いてきている。先々週までは足音だけだった冬が、
先週には片足を踏み出して来て、今は、もう片方の足まで踏み込まんとしている。
あと一週間も経てば、どっかと腰を降ろすに違いない。
そうやって、冬は日を追う毎に色を濃くしている。おれはその事を実感し、
夏の名残りのあったあの日を、遠い日のように思い出していた。

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なにせ久々の昼休みランだ。最後にやったのはいつだったか。
走る前にその記録を辿ってみると、約二ヶ月ぶりだということがわかった。
それでも、それは十月のはじめのことだったから、
十一月中に再開できたのは結果的には良かった、と考えている自分がいる。
その理由は、丸々一ヶ月やらなかった月を作らずに済んだ、から。
考えれば妙な理屈だ。こんなこと、自己満足以外の何ものでもない。

しかし、ランニングという趣味自体が自己満足の世界である。このことは、
ランナーの誰もが自覚するところではないだろうか。誰に褒められるわけでもないが、
毎日黙々と走ればそれなりに頑張っているという気になれる。
月の走行距離が延びるにしたがって、自分で自分のことを偉いと思うようにさえなってくる。
好きで走るのだから偉いもへったくれもないが、それでも自分は十分に満足だ。
これはこれでいいのだ。それが自己満足であり、誰の迷惑にもならないのだから。

――自分で自分を褒めたい――。

オリンピックのマラソン競技で、二大会連続のメダルを獲得した日本人選手の
有名な弁である。
前回大会より順位が悪かったけれど、
終わってから何でもっと頑張れなかったのかと思うレースはしたくなかった、
今回はそう思っていない、だから、はじめて自分で自分を褒めたい――と。

思えば、これもランナーならではのコメントであったのかもしれない。
マラソンとは、そういう類のスポーツではなかろうか。結局は自分が満足なら、
それでいい。他人がどう評価しようが関係ない。
究極の個人スポーツであるマラソンであるから、それが許されるのだろう。

それはおれにしたって同じこと。頑張って一秒でも早く走ったって、
一キロでも多く走ったって、特に何かが得られるわけではない。
毎日欠かさずに昼休みを返上して走っても、時間外手当がつくわけではない。
出世できるわけでもなければ、給料が上がるわけでもない。
誰かの助けになるわけでもなければ、喜ばれるわけでもないし、
世界のどこかの紛争が終わりに向かうのにも、地球温暖化をくい止めるのにも、
原油価格を下げるのにも、絶滅危機にある野生動物の保護にも、
ほんの少しだって役立つことはない。

自分が満足する。ただ、それだけだ。
逆に言えば、走らなくたって悪いことなどひとつもない。
だから、昼休みに走らない日が何日続こうが、罪悪感を持つことなどないはずだが、
これがどういうわけか、そうでもない。この場合の罪悪感の対象も他人じゃなく、自分。
走るのも自己満足なら、走らない罪悪感も持つこともまた、
自己満足でしかないということだ。どっちにしても、他人は知ったこっちゃない。

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三周目で、少しだけスピードを上げる。しかし、そのまま上げ続ける気など、今日はない。
久しぶりの昼ランだから、いきなり目一杯まで上げるつもりは最初からないのだ。
おれは心拍が限界になるまで走っていた記憶を辿った。

春先、公園内では昼になると平日でも大勢の人で賑わう。
ほとんどが、小さい子どもとそのお母さん。草の上にシートを広げてお弁当を食べたり、
子ども同士で追いかけっこをしたり……。
周回コースを走っていくと、その喧噪から離れたところで、
シジュウカラが楽しそうに歌っていた。

 ツッツピー、ツッツピー、ツッツピー。

やっと訪れた春を満喫するように、清かな声を辺りに響かせていた。
それが大会前、一秒に必死になって走っていたころ、思うように走れないと、
気持ちばかりが焦った。普段、聞き覚えのあるはずのシジュウカラの声も、
その時ばかりは違って聞こえた。いつものシジュウカラが、
その日はなんだか様子が違った。

 ツツピー! ツツピー! ツツピー! ツツピー!

どういうわけか、せわしなく歌っている。おやおや、今日のはハードロックか、ヘビメタか。
おれの足の運びにあわせるように、速いビートを刻んでいる。その歌が、おれに向かって、
「突っ込めー! もっと突っ込めー!」
と急かしているみたいに聞こえた。まんまと急かされたおれは、必死で地面を蹴る。
そんなふうにして思い通りの走りができると、シジュウカラのお陰と、
自己満足していたのだった。

春からの一年をワンシーズンと意識するようになったのは、マラソンを始めてからのことだ。「シーズン」とは本来、季節や特定の時期を意味する言葉だから、
一年で考えるのはおかしい。でも、おれの気持ちの中ではそうなのだ。
春に目標を立て、暑い夏を超え、秋に走り込み、冬を迎える。
メインレースである二月の青梅マラソンがシーズンのクライマックス。
その後、夢駅伝があって、三月にいくつか大会をこなすと、
今シーズンも終わるのだなと思う。
そして、四月からのレースで新たなシーズンの始まりを実感するのだ。

春先にシジュウカラの声に耳を傾けていたのが、
今と同じシーズンであることを不思議に思う。
あれから何もかもが変わった。そんな気がする。
おれの周囲も、おれ自身も、相当に変わっている気がする。
実際にはこれといって変わったことなど挙げられないが、
ああやって息がきれるほど追い込んで走ることが、あの時と同じレベルで走ることが、
今のおれにできるとは到底、思えない。そのことだけで、
いろんなものが変わったという気になってしまうのだ。

四周走ったところで、今日はやめにしようと思った。
走り終えたおれは、腕立て伏せを二十回した後で、ゆっくりとストレッチをする。
アキレス腱を解し、脹ら脛を伸縮させる。
筋や腱だけでなく、身体中のありとあらゆるところがリラックスしている。
そう思えた。とても、心地よい感覚。この心地よさにしても、
もしかしたら自己満足の範疇だということなのだろうか。
それは、おれにもよくわからなかった。

水道で手を洗う。顔を洗う。刺すように水は冷たかった。
夏にはこの水を頭からかぶる。真夏には何度かぶっても、そのそばから汗が吹き出る。
あの夏の日も、今と同じシーズン。それもつい三ヶ月前のことなのだ。
つくづくそれは不思議なことに思えた。

おれは渇いた口をすすぎ、水を口に含むと上を向いてうがいをした。
その水を吐き出し、もう一度同じように水を含んで上を向いた時だった。
見上げた先の木の枝に、何やら動くものを見つけた。
ようく目を凝らして見ると、どうやらそれが小鳥であるらしいことがわかった。

 シジュウカラだ。あの、シジュウカラかもしれない――。

おれは春先の日のことを思い出す。そして、うがいもせずに口の中の水を吐き出すと、
もう一度、木の枝に目を凝らした。確かにシジュウカラだ。
盛んにくちばしを動かして、何やら突いている。

なんだろうと、おれが背伸びをするように状態を起こしたところで、シジュウカラが、
突いていたその何かを落とした。落ちてくるものを目で追うと、
それはおれの目の前をかすめて、真っ直ぐに足下に落ちた――はずだった。
しかし、地面に到達する寸前で、おれはそれを見失ってしまった。
目の前をかすめたもの、それは木の実のようにおれには見えた。

おれはそれを探そうと足下を見渡したが、そこには無数のドングリが落ちている。
大小様々なドングリ。シジュウカラが落としたであろうドングリを、
その中から探し出すことはもはや不可能だった。

あれはきっと、このおれに向けて落としたのに違いない。おれにはそう思えてならなかった。
久しぶりに顔を出したおれに、自分の大切なものをプレゼントしてくれたか。
あるいはサボっていたおれに、怒ってぶつけようとでもしたか。どちらにしても、
おれは行方のわからなくなったそのドングリが、惜しくて仕方ない気分だった。

 なあ。悪いけど、もう一度落としてくれないか?

そんな気持ちになって、おれは頭上を見上げた。
しかし、そこにはもうシジュウカラの姿はなかった。
だいぶ葉を落として寂しくなった枝の隙間から、
曇天が低く垂れ込めているのが見えるだけで、
さっきまでそこにシジュウカラがいた気配さえ、微塵も残ってはいないのだった。

走り終えた身体は、すぐに冷える。おれは未練がましい気持ちを抑え込んで、
植え込みからウインドブレーカーを拾い上げると、足早に公園を跡にした。
更衣室に戻る間にも、おれはシジュウカラが落としたドングリを思う。
明日も、あのシジュウカラは姿を見せてくれるだろうか。
まさか、もう二度とドングリを落としちゃくれまいが、それでも、
おれはあのシジュウカラに明日も会いたいと、そう思うのだった。

きっと来てくれる。理由もなく、そう思った。きっと、これも自己満足。――というより、
むしろ自己中心的発想か。たとえ明日もあの公園にシジュウカラがいたとしても、
なにもおれに会いに来たわけではない。それに、世の中にシジュウカラがどれだけいるか。
おれはそれを見分けられるとでも思っているのか。

 おれを憶えていてくれて、ドングリをくれるシジュウカラ――。

他人が聞いたら、馬鹿じゃないかと思うだろう。まったく、とんだ勘違い野郎だ、と。
おれは自分でも可笑しくなって、力なく首を振った。まったくだ。ほんと、馬鹿らしい。
ひとつ溜息をついて、更衣室のドアを開けた。
省エネのために昼間は電気の消された更衣室。その薄暗い中で、ロッカーの扉を開ける。
扉に備え付けられた小さな鏡の中で、自己満足の勘違い野郎が、
頬を白く乾燥させていた。逃げるように鏡から目をそらし、
ランニングシューズからサンダルに履き替えようと、
シューズを脱いだ、その時だった。

 コロン――。

シューズから何かがこぼれるように落ちた。
おれはそれがドングリであることが、すぐにわかった。
きっとどこかシューズの隙間にでも挟まっていたに違いない。
おれはそのドングリを大事に手にとり、間近に持ってくると、じっと見つめてみた。
まんまるの形をした、どこか愛嬌のあるドングリだった。
よく見ると、一所に小さな穴が空いている。

それがシジュウカラの開けた穴なのか、虫の喰った跡なのかはわからない。
わからないけど、さっき枝には微塵も残っていなかったシジュウカラの気配が、
そのドングリには、きちんと残っているように思えてならない。

やはり……馬鹿らしい、か。
これが、あのシジュウカラが落としたドングリだと思う、しょせんはこれも自己満足。
自己中心的発想。おそらく、その通りなのだろう。
とんだ勘違い。でも……。

でも、まあ、いいじゃないか。
それでもいいさ。自己満足でも自己中心的でもいい。構うものか。
だいたい、走ること自体が究極の自己満足だったはず。
それでもおれは、誰にも迷惑をかけちゃいない。
自分がいいと思えば、それでいい。
他人がどう思おうが、気にすることはないさ。
こうなったら、とことん自己満足の世界に浸ってやるとするか。

 ツッツピー、ツッツピー、ツッツピー。

春先の、あの清かな歌声が、どこかで聞こえた気がした。
おれはそのドングリを、ロッカーの中にそっと仕舞った。

F1030459(1).jpg

<今日の練習内容>
(昼ラン)

4.2km(1050mコース6周) ジョグ

TOTAL Time : 19:28.38   
 
     LAP      SPLIT      /km       AVE
01  05:00.20  05:00.20   04:45.90   05:00.20
02  05:10.98  10:11.18   04:56.17   05:05.59
03  04:45.64  14:56.82   04:32.04   04:58.94
04  04:31.56  19:28.38   04:18.63   04:52.10

/km AVE :04:38.19 (/10km :46:21.86ペース)

(帰宅ラン)
会社から、18km。


<今日のデータ>

今日の走行距離      22.2km 
今日まで         312.2km 
平均            11.1/日
体重             65.0kg
体脂肪率          12.5%
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11/20(火) 手袋 ―thinsulate―
2007-11-20 Tue 13:02
昨晩きれいに締め直した包装のリボンを、今朝もう一度解いた。
誕生日の祝いに息子から貰った手袋を取り出す。
ハサミを使ってタグを外し、それを捨てずにポケットに仕舞い込んだ。

お金を出したのは俺だけど、選んだのはカノジョ――。

息子はそう言っていた。そうだ、息子にカノジョができたんだっけ。
おれはあらためてそのことを思い出した。
日曜日のサッカーの試合、応援に女の子が何人か来ていたが、そのうちのひとりらしい。
こうこう、こういう子だと、息子が面倒そうに説明する。
うっすらとした記憶を辿ると、確かにそんな子がいた。
眼鏡をかけた真面目そうな子。大人しそうで、優しそうな子だった。
あいまいな記憶を紐解いていると、日陰で観戦していた寒さまでぶり返したように感じて、
思わず背筋がぶるっと震えた。

とにかく、根っからの寒がりである。
最初の木枯らしが吹く時期には、もう寒くていられない。
真冬よりも、冬の入り口の寒さがこたえる。寒さに身体が慣れていないのだ。
そして、真っ先にやられるのが手であった。この季節、おれの手は氷のように冷たくなる。
「どうしてこんなに冷たいの?」
手に触れた人が驚くほどの冷たさだ。
「心が冷たいせいだろ」
決まって、そう応えることにしている。
迷信なら、手の冷たさは心が暖かい証拠というのが本当だ。
わざとその逆を言う。謙遜のつもりだ。わかる人には、わかる。
反比例なら、おれの心は相当に暖かいはず。そのくらい冷たい手だ。
そういう事情を知ってか、知らないでか、息子はおれへのプレゼントに手袋を選んだ。
おそらく、知らないで、の方であろう。寒い季節なら、無難で定番のアイテムだ。
それでもおれはそのプレゼントを、本心から有り難く頂戴した。

とはいえ、まだ十一月の半ばである。手袋は少し早い。
マフラーなら、若い連中は十月のうちから大袈裟なほどぐるぐると首に巻きつけていた。
あれは、おしゃれ、なのだ。季節の先取りはおしゃれの基本である。
少しくらい暑くたって、気にしちゃいられない。
しかし、手袋は先取りしない。格好が良くないからなのだろう。
おしゃれでないなら、先取りは無意味だ。今の時期、バイクや自転車ならともかく、
電車の乗客なら手袋をしていない人がほとんどで、しているのは中年以上のごく少数。
若い連中にいたっては、皆無だ。
自分も中年なのだから、気にせずにすればいいと思うが、見栄っ張りの意地っ張り。
これも根っからの性分で仕方ない。
格好悪いと思われたくない。寒がりと思われたくない。オジサンと思われたくない。
格好悪い寒がりのオジサンが、精一杯の見栄を張る。

「せっかくのプレゼントだからな」
今日ばかりは言い訳があることを幸いに、堂々と手袋をしていくことにした。
「さっそく使わせてもらうことにするよ」
そう言うと、息子は少し照れたように、
「ああ、サンキュー」
と言った。セリフがあべこべなのように思ったが、もちろん悪い気分ではなかった。


昨晩、包装を開けてその手袋を見たとき、おやっ、と思った。
「薄い」と「断熱する」を意味する英語を合成してネーミングされた、
高機能中綿素材の手袋。素材名がそのままロゴとして手首の部分に施されてある。
そのロゴに、確かな見覚えがあった。
「あれ? 前になくした手袋によく似てるなあ」
思わず、そう言った。ロゴが同じであるのも確かだが、そればかりでない。
色合いも厚さも、なくしてしまった手袋に、その手袋はよく似ていた。
あれは十年近く前だっただろうか。
ずいぶんと気に入った手袋だったが、不注意で落としてしまった。
落とす、なくす、も相変わらずの性分だ。気がついてすぐに思い当たる場所に戻ったが、
すでにそこには無かった。
誰かが拾ったのだろう。そう思って、その足で近くの交番に寄ったが届いてない。
その時、どういう理由があったかまでは覚えてないが、
息子と二人だったことはよく覚えている。
しかし、当時低学年だった息子に、そんな記憶があるはずない。
手袋の姿形に至っては、覚えているわけがない。だから、これも偶然と思うのが普通だろう。

「その手袋が、戻ってきたんじゃね?」
息子は似ていると言ったおれの話を、半分にさっ引いて聞いたのだろうか。
あるいは、冗談と受け取ったかもしれない。冗談に、冗談で返したのか。
戻ってきた、と。
「かもな。お前のカノジョが、戻してくれたんだ」
おれはいたって真面目だったが、息子は笑っていた。馬鹿らしいと、
そう思ったのかもしれない。作り話と思ったに違いなかった。
選んでくれたというカノジョに、おれが気を遣ったとでも思ったのだろう。
でも、おれは本気でそんな気がしていたのだ。 
手を入れると、懐かしい感触が戻ってくる。パンパン、と軽く手を合わせる。
そう、この感触。間違いはない。おれは一層、嬉しくなって、もう一度、
パン、と手を合わせて手袋をまじまじと眺めた。

F1030435(1).jpg


外へ出ると、冷たい風が頬をうった。しかし、手は暖かいままだった。
これは真冬でも寒さをまったく感じないほどの作りである。
おれはそのことをよく知っている。だからこそ、お気に入りだったのだ。
それほどのお気に入りを落としてなくす自分は、つくづく情けない性分だと思うが、
この手袋ばかりはなくせない。性分では済まされない。
そう自分に言い聞かせる。プレゼントしてくれた息子に責められるより、
選んでくれた息子のカノジョをがっかりさせるより、
自分が自分を許せないだろう。これは何があっても落とせない。
もう一度、自分に念を押した。

駅に着くと、案の定、誰も手袋などしていない。おれもジャケットのポケットで手袋を外し、
そのまま、ポケットの中に留めた。なにせ冬山で使ってもいいくらいの代物だ。
やはり今の時期にはそぐわない。もちろん罪じゃないが、体裁はよくない。
しかし、手袋を外した手は、途端に冷たくなるのがわかる。

手が冷たいのは心が暖かいせい――。

本当だとしたら、心の暖かさを恨めしく思う。
心が冷たくても、手が暖かい方が実用的ではないか。
そんな不合理なことを本気で考えてみる。
しかし、せっかくポケットの中にこれほど暖かな手袋があるというのに、
我慢して着けないなんて、それこそ不合理な話ではないか。そう思うと、
ついに自分の見栄っ張りが馬鹿らしくなって、手袋を手に着け直した。

途端に暖かさが手元に舞い戻る。これは、なんという幸せか。
格好など、もはやどうでもよく思えた。手袋とはなんと暖かくて実用的な代物なのだろう。
手が暖かいばかりではない。心の底からじわじわと暖かくなっていくのを、
おれは確かに感じた。
これからは、格好でなく実用性重視でいくとしよう。おれはそう決意した。

ところが乗客がまばらな電車ではどうでもよく思えたことも、
満員のモノレールではそうも思えなくなった。つくづく足下のしっかりしない決意だ。
女子高生の集団が、斜め後ろに陣取っている。
話題はバイト先の店長が、チョー変わっているという話だ。
その変わりようを、一人がおもしろおかしく話す。聞いたみんなが、わっ、と笑った。
その目が、気になる。

見て見て、あのオジサン、あんな手袋を――。

そんな風にヒソヒソと話されるのはご免だ。
大事な手袋を、笑いのネタにされるのは我慢ならない。
馬鹿らしい見栄が、また手元に舞い戻った。
おれは再度、手袋をジャケットのポケットに仕舞い込んだ。そして、ふと思う。

そうだ、そうだ。そうなんだよな。

おれはある考えに思い至る。こうやって、着けたり外したりが多くなると、
落とす確立も高くなるのだ。
着けっぱなしの手袋が、知らぬ間に外れて落ちるはずがない。
外さなければ、落とすことなどあり得ないのだ。
落とす確立は、外したタイミングが一番大きい。あの手袋も、落としてなくしたのは、
もしかしたらこんな見栄っ張りの意地っ張り性分が災いしたのかも知れない。
きっとそうに違いないと思う。確信のように、強く思えて仕方なかった。

これは大事な手袋だ。なくすわけにはいかない。
再びそう思って、おれはジャケットのポケットに手を突っ込み、
その大事な手袋を、強く握りしめた。
一瞬、いま握っているのが、なくしてしまった手袋なのか、
昨日息子に貰った手袋なのか、気持ちの中であやふやになる。
いつの間にか女子高生の話は、
最近ヒットしている映画の話題に変わっていた。


<今日の練習内容>
(昼ラン)
なし。

(帰宅ラン)
会社から、18km。

<今日のデータ>

今日の走行距離      18.0km 
今日まで         231.0km 
平均            11.5/日
体重             65.0kg
体脂肪率          12.5%
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08/06(月) 本当の終わりは…。
2007-08-06 Mon 13:51
朝から刺すような日差しが降り注いでいた。
歩道にはくっきりと建物の陰が刻み込まれ、
アスファルトはジリジリと音が聞こえるかと思うほど熱く焼かれていた。

エアコンによって快適な温度に保たれたオフィスからでも
外の暑さは一目見ただけでわかる。
そんな中、会社の窓から見下ろした公園のトラックには、
必死で駆ける高校生たちの姿があった。

猛暑をはね返すように、頼もしくも力強く躍動する姿に、
夏なのだなあと思う一方で、その儚さを憂いでいる自分がいる。
高校生の姿を見ながら、おれは一昨日の早朝のことを思い出していた。

ワンコの散歩に出た時のこと、
半分寝ぼけ頭のおれ目の前に、一匹の蝉(セミ)が落ちてきた。
条件反射するワンコのリードを引きながら、おれは落ちた蝉の姿に見入る。

一心に鳴き通した7日間が、今終わったのだろう。
力尽きたように、ジジッ、っと鳴いて体を震わせたあとは、
もう二度と動くことはなかった。
一昨日は同じ光景を、帰るまでにもう一度、目にした。

よくよく気をつけて見てみると、蝉の羽根はいたるところに落ちている。
羽根以外は、すでに蟻んこが運んでしまったのだろうか。
落ちているのは羽根だけ。それは、終焉のシンボルのように。

梅雨が長引いて、やっと始まった本格的な夏――。
そんな夏も、すでに終わりの時に向いているのだ。
そう思った。

なんでも始まれば終わりの時があるのは当たり前の話で、
季節なんていうのは、それの代表選手みたいなもの。
もっと言うなら、始まる前から終わることがはっきりとしている。

おれの大好きな夏も、毎年やってきては、必ず毎年去っていく。
おれがどんなにそれを嘆いても、悲しんでも、夏は必ず終わる。
そんな儚さを、トラックで走る高校生の姿に思ったのだ。

頼もしく、力強く走る彼らにも、必ず終わりの時はくる。
彼らだって、いつまでも高校生でいられるはずもない。
おれにとってのその時期も、あっという間に過ぎてしまった気がする。

あの頃の自分は、終わりがあることきちんと理解していたはずなのに、
それを知っていて、それでも楽しかったのは何故だろう。
やがて訪れる終わりの時を悲観することなく、
無邪気にはしゃいでいられたのは、どうしてだろう?


昼休みになって公園に行くと、すでに高校生の姿はなかった。
一番暑い時間帯を避けたのだ。それは極めて懸命な措置。
でもおれは、この時間に走るしかない。

走り出すと、やっぱり暑い。――暑い。
それでもおれは日陰を避け、わざと陽の当たるところを選ぶように走る。
刺すような日差しを一身にうけたおれは、
ちっとも頼もしくなく、どう見ても力強くもなく、
ゼイゼイと、ハアハアと、息を切らして無様に走る。
無様に走って、やっとのことで6周を走り終えた。

しかし、これは本当の終わりじゃない。
おれはそのことだって、ちゃんと知っている。
また明日も走る。明後日も走る。その次も、またその次も。
じゃあ、本当の終わりって何だろう? 
終わりって、本当にあるのだろうか?

「輪廻転生」という言葉がある。
この考え方から言えば、終わりというものがない。
人は死んだら必ずこの世の何らかの生き物として
生まれ変わっていることになっているのだ。
ある場合、それは蝉だったりすることもあるだろう。
だったら蝉も死んだら、別な何かに生まれ変わるはずだ。

一昨日のあの蝉は、次は何に生まれ変わるのだろうか。
今度は念願叶って、めでたく人間に戻るのか。
それとも、また蝉のままか。

それでは、今年の夏は何かに生まれ変わるのだろうか?
秋――だろうか。それとも冬か?
もしかしたら、また来年の夏に生まれ変わるのかも知れない。

終わってしまった夏まつりは、また来年の夏まつにり生まれ変わる?
汗をかいたジョッキのビールは、飲み干したらおかわりに生まれ変わる?
先週見た花火は? カラオケで唄ったあの歌は? 

歳をとって、物事の分別がつくようになるまで、
始まりがあれば、終わりは必ずくることを
嫌というほど繰り返してきた。

もう二度と戻ってこない、頼もしくも力強かった日々。
なんの心配もなく、はしゃいでいたあの頃の記憶が
そのことを、おれ自身に強烈に知らしめている気がする。

そういう繰り返しの中で、いつしかおれは
終わることばかりを悲観するようになっていた。
今のおれは、始まる前から終わることを憂いでいる。


昼休みが終わって職場に戻ると、
なんとホストコンピュータがダウンしていた。
十数年来の大トラブル発生だ。

会社の大事なライフライン。これでは出荷もできない。
長引けば会社の信用に関わる、重大なトラブル。
プレッシャーが部署内に重くのし掛かる。
もちろん、おれ自身にも。
何時に復旧できる? 何時に帰れる?

おれの思いは前回のトラブルの時にフラッシュバックする。
何時に復旧できるのか、何時に帰れるのか――。
今と同じ事を心配した。でも、あの時のおれは若かった。
若いという歳でもなかったかもしれないが、
少なくとも、今のおれよりずっと若かった。息子もまだ小さかった。
時はあっという間に過ぎ去って、ここに今がある。
でも、結局なんにも終わってはいなかった。
あの時と今は、確実に一本の線で繋がっている。

巡るのだ。すべては巡る。
終わりはない。
それは良いことでも悪いことでもなく、
事実として、本当の終わりなんて、本当はないのだ。
長い長い旅のように。
これからも、ずっと続いていく。

日が傾いて、暑さも和らいで風が涼しく吹き始めた。
ホストコンピュータは、7時少し前に復旧した。

<今日の練習内容>
(昼ラン)
6.3km(1050mコース6周) ビルドアップ走

TOTAL Time : 24:07.52   
 
     LAP      SPLIT      /km       AVE
01  04:25.01  04:25.01   04:12.39   04:25.01
02  04:11.40  08:36.41   03:59.43   04:18.21
03  04:00.66  12:37.07   03:49.20   04:12.36
04  03:59.15  16:36.22   03:47.76   04:09.06
05  03:49.63  20:25.85   03:38.70   04:05.17
06  03:39.71  24:05.56   03:29.25   04:00.93

/km AVE :03:49.45 (/10km :38:14.54ペース)

(帰宅ラン)
なし。

<今日のデータ>

今日の走行距離      6.3km 
今日まで         12.6km 
平均            2.1/日
体重             63.0kg
体脂肪率          9.0%
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| 月下独走 |

ひろさんって、こんなオッサン。

<span style= 【 がんばろう 】 


'06年6月、10Kmレースで惨敗。
悔しさから「来年は33分台で走る!」ことを宣言。
その過程を記すためにブログを始める。
しかし、一年後のレースでリベンジを果たせず。

'10年2月、青梅マラソン10km40歳台の部において33分30秒で2位。
4年越しでようやく目標達成!
しかし、ここで立ち止まるわけにはいかない。
次の目標は当然、「32分台で優勝する!」

そんなおれも、ついに50歳。
まだまだ俺は進化し続けるぞ!
今年もガンガン、走るぜーイェイ!!

こんなオッサンランナーだけど、
どちらさんもヨロシク~っス♪